練習用
2010年01月27日
2010年高崎市で新春講演会
昨年4月、高崎映画祭で本作品が上映された時に、高崎郷土史会会長の高崎経済大学名誉教授、高階勇輔先生がお見えになり、ぜひ、自分たちのグループでも上映したいとのお話をいただいた。そして11月8日、平成21年度の文化講演会でそれが実現した。映画上映と「歴史のレクイエム 原口鶴子をめぐって」という演題で高階先生がご講演されたのだ(後援:高崎市文化協会、協賛:高崎女子高等学校同窓会)。しかも場所は鶴子さんが実際に学ばれた校舎(現在は高崎中央公民会になっている)。当日のお客様は、高崎市のほかに伊勢崎市、玉野市、前橋市、藤岡市、邑楽町からもいらしていたそうです。私は残念ながら仕事で行かれなかったのですが、そのとき、次はぜひ、監督のお話をきこう、ということになって郷土史会の新春の集まりにお誘いを受けたのです。
場所はいまや高崎市でたった2つだけになってしまった伝統ある料亭のひとつ「魚仲」。歴代首相らも訪れたという立派な佇まいでした。会の終わりには、昨年、国から瑞宝章を受けた高階先生と私に花束と記念品をくださり、みんなで記念写真。誰かが「結婚式みたい」ですって。私は光栄ですが、先生はご迷惑でないかしら!平均年齢はちょっと高かめですが、みなさん若々しく、開放的で笑いが絶えない集まりですっかりリラックスして帰ってまいりました。
高崎郷土史会の皆様ありがとうございました。
totoebi01 at 23:42|Permalink│Comments(0)
2009年03月01日
高崎市、富岡市へ行ってきました
第23回高崎映画祭に参加がきまり、そのご報告と映画を観にきてくださるようお願いをしに、撮影でお世話になった群馬県高崎市、富岡市に行ってまいりました。
関東の内陸は雪になります、という日で群馬県は雨でした。
花粉症なので雨はまさしく恵みの雨。
鶴子さんが卒業された県立高崎女子高等学校へは問屋町という駅から歩いていきました。
今回の目的は校長先生へのお礼と、映画祭での写真展のために取り残した資料写真をデジカメでとること。卒業生の資料が置かれた記念館で創設当時の学校を撮影。
さらに図書館で一回生の卒業集合写真を同じく撮影。2006年の映画の時もDVカメラで撮影させていただいたのですが、撮影に夢中でゆっくり見ることができず、今回、見せていただき一人一人確認していきましたがやはり鶴子さんがどの人かわかりませんでした。それで、デジカメで撮影したものをズームでさらに確認し、この人かも…と思われる女性が二人、さあどちらだろう…。
高崎駅にいったんもどり、そこから上信電鉄上信線で上州富岡へ。2両だけのこじんまりした電車で、平野部をゆっくり(新幹線で高崎まで来たのでなおさら)走り、富岡へ。
今回改めて市役所は駅のすぐ近くだったことに気がつきました。初めて来た時は、何かとても歩いた気がしたのですが。お世話になった部署にご挨拶。ちょうどできたばかりの「広報とみおか」をみせていただく。1Pの半分以上に、高崎映画祭と本映画の上映情報、完成後の歩みを掲載してくださってました。嬉しくて何部かもらいました。お話のあと、近くの書店、新聞販売店を紹介していただきポスター、チラシ、映画祭チケットをおいていただくように頼み、高崎にもどりました。
駅で待ち合わせした映画祭のスタッフの方とご挨拶。その足で前日急遽決まった高崎駅ビル内のラジオ高崎のブースで情報番組に生出演。10分ほど鶴子さんについてお話ししました。
今回の上映が2日間とも300名以上収容のホールなのでお客様でいっぱいになるかどうか。
映画完成以後、新聞やラジオに出るたびに(年に1、2度でしたが)群馬県からお問合せや実際に東京の上映会場まで足を運んでくださる方が何人もいらっしゃいました。
ぜひ、まず高崎映画祭で上映されることを県内の方々に知っていただくことが何よりと思い、早めにキャンペーン(というほどオーバーなものでありませんが)をしましたが、とても楽しく感慨深いものがありました。
関東の内陸は雪になります、という日で群馬県は雨でした。
花粉症なので雨はまさしく恵みの雨。
鶴子さんが卒業された県立高崎女子高等学校へは問屋町という駅から歩いていきました。
今回の目的は校長先生へのお礼と、映画祭での写真展のために取り残した資料写真をデジカメでとること。卒業生の資料が置かれた記念館で創設当時の学校を撮影。
さらに図書館で一回生の卒業集合写真を同じく撮影。2006年の映画の時もDVカメラで撮影させていただいたのですが、撮影に夢中でゆっくり見ることができず、今回、見せていただき一人一人確認していきましたがやはり鶴子さんがどの人かわかりませんでした。それで、デジカメで撮影したものをズームでさらに確認し、この人かも…と思われる女性が二人、さあどちらだろう…。
高崎駅にいったんもどり、そこから上信電鉄上信線で上州富岡へ。2両だけのこじんまりした電車で、平野部をゆっくり(新幹線で高崎まで来たのでなおさら)走り、富岡へ。
今回改めて市役所は駅のすぐ近くだったことに気がつきました。初めて来た時は、何かとても歩いた気がしたのですが。お世話になった部署にご挨拶。ちょうどできたばかりの「広報とみおか」をみせていただく。1Pの半分以上に、高崎映画祭と本映画の上映情報、完成後の歩みを掲載してくださってました。嬉しくて何部かもらいました。お話のあと、近くの書店、新聞販売店を紹介していただきポスター、チラシ、映画祭チケットをおいていただくように頼み、高崎にもどりました。
駅で待ち合わせした映画祭のスタッフの方とご挨拶。その足で前日急遽決まった高崎駅ビル内のラジオ高崎のブースで情報番組に生出演。10分ほど鶴子さんについてお話ししました。
今回の上映が2日間とも300名以上収容のホールなのでお客様でいっぱいになるかどうか。
映画完成以後、新聞やラジオに出るたびに(年に1、2度でしたが)群馬県からお問合せや実際に東京の上映会場まで足を運んでくださる方が何人もいらっしゃいました。
ぜひ、まず高崎映画祭で上映されることを県内の方々に知っていただくことが何よりと思い、早めにキャンペーン(というほどオーバーなものでありませんが)をしましたが、とても楽しく感慨深いものがありました。
totoebi01 at 13:11|Permalink│Comments(0)
2008年10月20日
横浜 フォーラム南太田シネマ&トーク
10/25に横浜にある男女共同参画センター横浜南で上映会とトークが開催されます。
フォーラム南太田という愛称で市民に親しまれている施設です。
横浜は女性の自立、社会参加、男女共生の活動が昔から盛んですが、いちはやく世界に門戸を開いた進取の精神が脈々と流れているからでしょうか。
戸塚にある女性施設がまだ横浜女性フォーラムと呼ばれていた時代、テス企画は、そこからはじめて大きなビデオ製作の仕事をいただき、嬉しくて夢中で作った覚えがあります。
映像プロダクションからの下請けでなく、テス企画が製作した最初の仕事でした。
チャンスを頂き、成し遂げた成功体験は、あとあと困難にぶつかった時の乗り切るエネルギーとなっています。
ランドマークタワーの上階に海外の女性運動の資料をいっぱい揃えた分室がありましたが、素晴らしい眺めと素敵な施設の中にある洋書の列にちょっとうっとりしました。
そこで行われた女性の国際会議の記録ビデオも何本か製作させていただきました。
私の作品は、男女共同参画センターや大学の男女共同参画推進室からのお問合せ多いようです。
子どもの頃「キチガイを治す仕事がしたい」という夢をもち、女性に教育は不要といわれながらも、本当に女性は能力的に男性より劣っているのだろうか悩み、努力を続け、命がけで海を渡り、女性の知性を証明した百年前の女性の話だからかもしれません。
不治の病に犯されながらも前向きに妻、母、研究者として生きた鶴子には、現代女性と共通する部分が多くあり、私自身、鶴子さんの生き方から多くの勇気と励ましをいただいています。
男女共同参画センター横浜南 フォーラム南太田 シネマ&トーク
10月25日(土)13:30~ 当日参加費1000円 事前申込み900円
上映後に監督とのQ&Aがあります。
お問合せは045-714-5911男女共同参画センター横浜南 常光さん
定員120名
お待ちしてしております。
フォーラム南太田という愛称で市民に親しまれている施設です。
横浜は女性の自立、社会参加、男女共生の活動が昔から盛んですが、いちはやく世界に門戸を開いた進取の精神が脈々と流れているからでしょうか。
戸塚にある女性施設がまだ横浜女性フォーラムと呼ばれていた時代、テス企画は、そこからはじめて大きなビデオ製作の仕事をいただき、嬉しくて夢中で作った覚えがあります。
映像プロダクションからの下請けでなく、テス企画が製作した最初の仕事でした。
チャンスを頂き、成し遂げた成功体験は、あとあと困難にぶつかった時の乗り切るエネルギーとなっています。
ランドマークタワーの上階に海外の女性運動の資料をいっぱい揃えた分室がありましたが、素晴らしい眺めと素敵な施設の中にある洋書の列にちょっとうっとりしました。
そこで行われた女性の国際会議の記録ビデオも何本か製作させていただきました。
私の作品は、男女共同参画センターや大学の男女共同参画推進室からのお問合せ多いようです。
子どもの頃「キチガイを治す仕事がしたい」という夢をもち、女性に教育は不要といわれながらも、本当に女性は能力的に男性より劣っているのだろうか悩み、努力を続け、命がけで海を渡り、女性の知性を証明した百年前の女性の話だからかもしれません。
不治の病に犯されながらも前向きに妻、母、研究者として生きた鶴子には、現代女性と共通する部分が多くあり、私自身、鶴子さんの生き方から多くの勇気と励ましをいただいています。
男女共同参画センター横浜南 フォーラム南太田 シネマ&トーク
10月25日(土)13:30~ 当日参加費1000円 事前申込み900円
上映後に監督とのQ&Aがあります。
お問合せは045-714-5911男女共同参画センター横浜南 常光さん
定員120名
お待ちしてしております。
totoebi01 at 11:33|Permalink│Comments(0)
2008年10月14日
日本教育心理学会3日連続上映
10月11日から13日まで東京学芸大学で行われた日本教育心理学会第50回記念大会で、本作品が連日複数回上映されました。
昨年、12月に大学の男女共同参画推進本部主催で上映会をしていただき、その時の担当の心理学の先生方とのご縁で実現した。
その時の上映会には、朝日新聞に紹介されたこともあり、多くの地元の皆様がご来場されたので、今回は学会の先生、研究者の方々のみ対象でした。
天気はいいし、東京学芸大学の広いキャンパスに、きっと多くの先生方がいらしてるだろうなあ、と家で仕事をしながら想像していた。
担当の先生から「結構はいってますよ」「日本心理学会でどうしてもご覧になれなかった先生がいらしてましたよ」とメールをいただいた。
これまでの試写会や上映会、映画館での一般公開、9月北大で開催された日本心理学会大会など、すべてあわせると、本当に多くの心理学関係者の方々に鶴子さんの存在を知っていただいたことになる。
知っていただく、ということも映画作りの喜びの一つである。
日本教育心理学会の皆様、東京学芸大学の先生方、ありがとうございました。
昨年、12月に大学の男女共同参画推進本部主催で上映会をしていただき、その時の担当の心理学の先生方とのご縁で実現した。
その時の上映会には、朝日新聞に紹介されたこともあり、多くの地元の皆様がご来場されたので、今回は学会の先生、研究者の方々のみ対象でした。
天気はいいし、東京学芸大学の広いキャンパスに、きっと多くの先生方がいらしてるだろうなあ、と家で仕事をしながら想像していた。
担当の先生から「結構はいってますよ」「日本心理学会でどうしてもご覧になれなかった先生がいらしてましたよ」とメールをいただいた。
これまでの試写会や上映会、映画館での一般公開、9月北大で開催された日本心理学会大会など、すべてあわせると、本当に多くの心理学関係者の方々に鶴子さんの存在を知っていただいたことになる。
知っていただく、ということも映画作りの喜びの一つである。
日本教育心理学会の皆様、東京学芸大学の先生方、ありがとうございました。
totoebi01 at 10:40|Permalink│Comments(0)
2008年10月10日
祝!名古屋大学
今年のノーベル賞は4人の日本人受賞者がでて、連日テレビで報道されている。
その4名の先生方のうち3名が名古屋大学で学んだ方々だった。
実は、今年は映画の上映で、6月名古屋大学、9月あいちウィルホールへ行ったこともあり、名古屋大学の快挙がことのほか嬉しい。
特に、名古屋大学での上映は、男女共同参画推進と女子研究者支援が大きな目的で、連絡を取り合っていた担当の女性研究者は物性科学を専門にされていたと思う。きっとお喜びだろう。
名古屋大学のキャンパスがニュースで何度か映った。
特に、上映場所、野依記念物質科学研究館2階ホールが、今回の受賞者で長崎大学を出て名古屋大学で博士号を取得された下村教授が講演された場所として映った時は、「うわー」と思った。
スクリーンが観やすくて、2回の上映とも、お客様で一杯だった。
その上映会に出席してくださった倉西正武コロンビア大学名誉教授(鶴子さんの一人娘である早百合さんの夫)は名古屋大学出身で、母校で数学を教えられた後、コロンビア大学に招聘されてニューヨークへ渡った方である。
時代がちょうど、南部教授や下村教授が頭脳流出する時期と重なっており、思わず戦後の名古屋大学でそうそうたる若き学者たちが議論を交わす姿を勝手に想像し、すごい時代だったのだなあ、とつぶやいてしまった。
下村教授が「どんな困難でも諦めず続けなさい」とインタビューでおっしゃっていたが、説得力があった。ノーベル賞の関連ニュースとして、少ない国の予算の中、こつこつと基礎科学を研究されている先生方が紹介されたが、感動した。
どんな分野でも、強い意志で、自分を信じて、こつこつ仕事し続けることが大切なのだろう。
その4名の先生方のうち3名が名古屋大学で学んだ方々だった。
実は、今年は映画の上映で、6月名古屋大学、9月あいちウィルホールへ行ったこともあり、名古屋大学の快挙がことのほか嬉しい。
特に、名古屋大学での上映は、男女共同参画推進と女子研究者支援が大きな目的で、連絡を取り合っていた担当の女性研究者は物性科学を専門にされていたと思う。きっとお喜びだろう。
名古屋大学のキャンパスがニュースで何度か映った。
特に、上映場所、野依記念物質科学研究館2階ホールが、今回の受賞者で長崎大学を出て名古屋大学で博士号を取得された下村教授が講演された場所として映った時は、「うわー」と思った。
スクリーンが観やすくて、2回の上映とも、お客様で一杯だった。
その上映会に出席してくださった倉西正武コロンビア大学名誉教授(鶴子さんの一人娘である早百合さんの夫)は名古屋大学出身で、母校で数学を教えられた後、コロンビア大学に招聘されてニューヨークへ渡った方である。
時代がちょうど、南部教授や下村教授が頭脳流出する時期と重なっており、思わず戦後の名古屋大学でそうそうたる若き学者たちが議論を交わす姿を勝手に想像し、すごい時代だったのだなあ、とつぶやいてしまった。
下村教授が「どんな困難でも諦めず続けなさい」とインタビューでおっしゃっていたが、説得力があった。ノーベル賞の関連ニュースとして、少ない国の予算の中、こつこつと基礎科学を研究されている先生方が紹介されたが、感動した。
どんな分野でも、強い意志で、自分を信じて、こつこつ仕事し続けることが大切なのだろう。
totoebi01 at 02:40|Permalink│Comments(0)