みんな生きている飼い主のいない猫
2015年04月10日
ベルリン再訪2/15(7)
2月15日は、ミッテ地区のローゼンターラー広場駅から
朝9時30分ぐらいに宿を出発。ローゼンターラー広場駅下車したが、どちらの方向にいっていいかわからない。前を路面電車が走っている。
地図を頼りに、こっちへ行ったり、あっちにいったり。
ちょっと路地っぽい坂道をあがりはじめたら、左に公園がみえてきたので、この道だと確信。
なだらかな丘にそって歩く。
新しいモダンなアパートが並んでいる。若夫婦が子供を育てるのにちょどいい地域って感じ。資料によると、ブドウ畑があったところらしい。

(壁公園の高台からアパート群を眺める 白いテントのような建物は朝市の店)
シオン教会へ
丘の中腹に公園が。そこを通り過ぎると教会の塔がみえてきた。

シオン教会。地味な教会だが、東ドイツ時代末期は、反体制グループの拠点になっていたそうだ。
トイレへ行きたくなって教会の中に入ったが、礼拝中だったので外に出た。
壁公園へ
この先が壁公園のはずと、地図でみて確認し、さっさと歩く。

壁公園への通りに出るまでの道には、気楽にはいれそうなおしゃれなカフェが並んでいた。
宿で朝食をしっかり食べたので、お腹がすいてるわけでなく、とにかく壁公園目指して歩く。
壁公園に面した通りにでた。今日は土曜日なのでイベントがあるのか、入り口でギターで歌う人、観光バスでやってくる人、中学生みたいな団体など、続々人が集まっていた。
なだらかな芝生のような空地の向こうに朝市がたっていた。広場を横切って市にはいり、トイレを探すと「WC」の掲示。人をかき分けてそこへ行くと、簡易トイレがずらりと並んでいた。

広場の上に壁が並んでいた。2013年に来たときはシュプレー川沿いのイーストギャラリーで壁をみたが、こんな低い壁で、大丈夫だったのだろうか?監視塔があったのだろう。それに電流が走っていたのかもしれない。
そこから通りを歩き給水塔やもっと歩こうと思ったが、寒いし、疲れたし、夜はベルリンオペラを見る予定なのでエバースヴェルダー通り駅で電車にのって、宿のあるクーダムの方へ戻る。
ケーテ・コルヴィック美術館を訪ねる
宿ののある道の一つ隣の道に、ドイツの戦争と圧制の犠牲者記念碑となっているノイエ・ヴァッに置かれている母と子の彫刻の作者、ケーテ・コルヴィック美術館があった。入館した。

彼女は第一次世界大戦で長男を、第二次世界大戦で孫をなくした。生活のため商業ポスターや、戦意高揚の絵なども描いたが、一貫して女性と貧しい人々の姿を描き続けた。女性のために戦ったアーチストとしてドイツで最も高く評価されている。

ドイツベルリンオペラ『タンホイザー』を見る
宿に一度戻り少し横になる。
午後3時半にオペラ座のカフェで文子の長い友人であった女性と会う。T子さんの通訳で文子と友人が知りあったきっかけや、文子のドイツでの活動を聞く。ミステリアス、そして、かわいい女性だったとのこと。文子がくれた、と浮世絵がかかれたTシャツをもってきてくれた。
時間になったので別れオペラ座へ。

(ドイツベルリンオペラ座)
T子さんがあらかじめ滞在に合わせてチケットをとってくださった。
話が盛り上がり、開演ぎりぎりで入場。すでに座っている人たちに立っていただいて自分たちの席についた。ちょっともうしわかなかった。
席は後方の正面。見えにくいのではとT子さんは気にしていたけど、微妙に椅子に段差があり、前の人の頭で見えにくということがないように設計されているので、舞台全体が見えてよかった。
演者の声量に圧倒された。これがドイツオペラかあ、と感心。
4時間ものだから3度休憩が入ったが、1階のロビーではお酒や飲み物を買う人であふれていた。
1000名以上がはいっているそうだ。アメリカの団体もいた。
人人人、どこからこんなににたくさんの人がああ
音楽を堪能し宿に戻った。T子さんが宿のそばまで送ってくださった。
totoebi01 at 21:16|Permalink
2015年03月23日
ベルリン再訪2/14 (6)
ポツダムのサンスーシー宮殿へ

ベルリン滞在2日目の2月14日(土)は、到着以来お世話になったTさんに休んでいただいて、一人であちこち尋ねた。
Zoo駅から30分、ポツダム駅からバスに揺られて20分くらいかな。宮殿前にとまった。
人が少ない。いやな予感。でも、まだ10時開館前だから、これから増えるだろうとおもって、宮殿入り口チケット売り場へ。

しまっている。あとからポツポツ人がやってきたが、チケット売り場前をとおって、庭園へ。どういうこと。
ドイツ語、英語の掲示板をみたら、12月ー3月休館のようなことが書いてあり、4月openですって!
そんなこと、旅行ガイドに書いてないよお。
宮殿正面にむかって左側にあるという、この宮殿を建てたフレードリッヒ2世と、彼の飼い犬の墓を見て行こうって。

ありました!犬の墓は11匹ぐらいいたなあ。

フレードリッヒ2世の墓においてあるじゃがいもは、寒冷の痩せた土地でも育つじゃがいもの栽培を奨励したからだそうだ。じゃがいも大好き!

そばにある風車。宮殿を建てた当時、風車が景観を壊すとのことで、取り壊しを命じたが、農夫が生活ができなくなると懇願したので、そのまま残したといういわれがあるそうだ。

ポツダムは交通でいえばCゾーン。ABゾーンの1週間チケットだけで乗ってるのがわかったら罰金を取られるとのことなので、Cゾーンチケットを窓口で買ったけど、調べにこなかった。
ノレンドルフ駅からヴィンターフェルト広場の朝市へ
昨日尋ねた文子さんのアパートのある町へ逆戻りして、教会を囲んだヴィンターフェルト広場の朝市をのぞいてみた。お腹すいたあああ。
果物、乳製品、パン、季節がら編み物製品、皮製品、お菓子、惣菜などがずらり。
でも、悲しいかな、言葉ができず、注文できない。でもトマトが6個くらいついた房を1ユーロ以下で買って、立ち食い。甘くておいしかった。
市場を抜けて通りを進み、通り沿いにあるホビーの店、その先の台所用品の店へ立ち寄る。
なんで知ってるのって?あらかじめ、ガイドブックでしらべていたんです。
そこで土産を購入。といってもチマチマした品ばかりだけど。
何かかって宿で食べようと思ったけど、もう限界。
なので、駅のそばのファーストフーズへ飛び込む。
ナンのような皮に好きな野菜とお肉、チーズなど巻いたもの。
浅黒くてがっちりした兄さんが、とっても親切に、具をこれ?これ?と聞きながら包んでくれた。
しかも、紅茶みたいなあったかい飲み物を、ほかの人が注文してるのを見て私も注文。なかに、シナモンみたいな棒がはいっていた。紅茶なのか??甘くて暖かくてとってもおいしかった。
野菜や肉をまいた本体もおいしかったので、噛り付き、最速で食べた。
、
夜はベルリン国際映画祭受賞式へ

夜の7時半から受賞式だ。宿で少し休んで、昨夜『天の茶助』を見たCINEMAXの今度はシアター7へ。
Zoo駅は本当に便利だ。バスでポツダム広場まで1本。早く到着したので、映画ミュージアムの中の本屋や、カフェを見て、アルカーデンショッピングセンターをぶらぶら。

(こちらは、映画本も売ってるカフェ、上階に世界の映画本をそろえた本やがある)
まだ時間があるし、寒いのでアルカーデンショッピングセンターをぶらぶら。
ここの2階にきれなトイレがありますよ。私は何度も利用しちゃった。

7時になったのでCINEMAXへ。 館内はほぼ満員。
最初の受賞者がなんと嬉しいことに日本人女性、瀬戸桃子さんだった。
受賞作は短編映画『プラネットΣ』だった。
私は存じてなかったが、フランスを拠点に科学映画?を作っている人とのこと。
日本語は全然使わず、フランス語と英語で受賞の挨拶。
作品は在住しているフランスの会社が応募したとのことで、そのプロデューサーも一緒だった。
大賞はイランの『タクシー』。前評判がよくて予想していた人が多いのでないだろうか。
監督は政府の監視下にあり、出国が許されなかったので、映画にでていた姪のかわいい女の子が代理でトロフィーをjもらった。おじさんの気持ちを考えたのか泣きじゃくっていた。
授賞式終了後、9時半ごろから大賞受賞作品の上映があり、一般観客と混じってプレスを持ってる人も見れたが、帰りが不安(夜道を一人で宿に帰った経験ないので)、あきらめて帰ることに。
プレスカードを返しに事務局のあるハイアットホテルへいったら、ちょうど、事務局フロアーが記者会見場になっていた。ワンディプレスでは受賞会見室には入れないので、「このプレスを返しに来ました」と入り口でガードしている人に言ったら、何をおもったか「ヤーパン?」私「イエス」といったら、会見室のドアを開けてくれて、「ヤパン、ヤパン」と中に入れてくれた。
(C)tessplanning ベルリン映画祭関係は転載禁止です

何だろうと思いつつ、押される形で中に入ったら、瀬戸桃子さんの記者会見がはじまった。そうか、日本からわざわざ取材に来たおばあさんと思ってくれたのかもしれない。
日本女性は素晴らしい!と感動が湧き上がり思いっきり拍手した。
思わぬ体験ができて、夜の10時過ぎ、バスに揺られZoo駅へ。それから夜のクーダムの通りを一人ぶらぶら歩いて宿に戻った。こあたり治安がいいのか悪いのかわからないけど、変な人は見かけなかった。自由っていいなあ。
totoebi01 at 13:18|Permalink
2015年03月16日
ベルリン再訪2/13(5)
今書いていて、ベルリン到着翌日、時差ボケもなくよく動けたなあと自分ながら感心する。
ある時から、ホテルは個室、朝食付きを探すようにした。
到着日、よく寝ること、朝はたくさん食べること。こうすると、なんとか時差ボケをしのげるのだ。
ケネディ大統領が演説した
シェーネベルク市庁舎へ
文子の部屋はエレベーターなしの7階最上階だった。息を切らしながら登ったが、病気末期の彼女が毎日、ここを上り下りしてたのかと思う感慨深い。大変だったろうなあと思うが、彼女のことだから同情なんてしたら怒るだろう。「時間をかけてゆっくりと、いい運動と思って階段を利用したわ」と言っているように思う。
部屋に「さようなら」をして、外にでた。アパートの道をまっすぐ行くと聖マティアス教会があり、その前のヴィンターフェルト広場は朝市で有名だそうだ。きょうは金曜日、朝市は土曜日とのこと。Tさんが「時間があったら来てみたら」「それでなくても地図やカメラや荷物が多いのに、朝市であれこれ買い込んでももてないわよ」と笑った。

ベルリン映画祭の「天の茶助」プレス試写は15:30から。まだ時間があったので、
次に、、シェーネベルク市庁舎を訪ねた。1963年、暗殺される前年、西ベルリンを訪問したケネディ大統領は、この市庁舎の前で大観衆の前で演説をした。東西の壁を憂い、演説の終わりに、(自由な人間は、どんな場所にいようとも)Ich bin ein Berliner~私はベルリン市民だ、と締めくくったそうだ。

市庁舎の前には日本でいうゆるキャラ?ベルリンのマスコットの熊さんがたっていて、お出迎えしてくれた。
Tさんと私、相変わらず(すみません)あわてんぼというか、ずうずうしいというか。ちょうど、強制収容所で殺された人々の写真と残した文章などの展示をしているという看板がでていたので、市庁舎の立派なドアをあけて、中に入った。
受付もそのまま通過(何も言われないかった)。展示場の案内にそって大きな会議室のようなドアを押すと開いて、中は写真と資料などがずらりと展示されていた。
ところが、電気も薄暗いし、誰もいない。私たち、電気のスイッチを押して部屋を明るくし「来るの早すぎたね」とか言ってみていたけど誰も入ってこない。なんか気持ち悪くなって別のドアから出たら事務室だったので、Tさんがもちろんドイツ語で「ここはやってないのですか」と聞いてくれた。
先週で終わっていたのでした。だったらさっさと片付けて!とは言わない。でも、帰りにまた受付を通ったら、展示場へは入らないでくださいね、と言われてしまった。なんだ、知ってたのかあ。
それから私は、そろそろポツダム広場のプレス試写へ戻るので、Tさんにお礼をいってZoo駅で別れたのでした。
totoebi01 at 18:15|Permalink
2015年03月14日
ベルリン再訪2/13(4)
ポツダム広場ちかくのフィルムセンターへ
ベルリン到着の翌日、ベルリン映画開催のポツダム広場のほかに、T子さんと、文子さんのゆかりの場所を尋ねた。
文子さんはベルリン在住の実験映画作家。ベルリン映画祭で短編映画が上映されたこともあり、また、チェゲバラのインタビューも撮影したといっていた。
バングラディシュ、フランス、アフリカ、ドイツなどの女性映画祭でも作品が上映され知る人ぞ知る人だが、アバンギャルドすぎて残念なことに日本ではほとんど知られていない。

(左側の回転ドアが入口)
彼女が亡くなり、アパートに残された映画関係の本、撮影済みビデオおよび写真、資料が保管されているベルリンフィルム資料館を訪ねた。この建物は、日本の京橋にあるフィルムセンターのようなところだろう。
映画館、映画関係の書店、アーカイブ資料館、ミュージアムなどがガラス張りのビルに入っている。
(ドイツ語がよくわからないが、このガラス張りビル建物全体が映画博物館で、その中がいろいろにわかれているのかもしれません)
場所はCINEMAXのある路地の大通りを挟んで向かいで、ベルリン映画祭開催中は混雑していた。
6階の資料館に入り、ちょうど文子さんの「東西ベルリンの壁崩壊の写真」を選別していた職員の方とお会いした。「アパートから友人が運び込んだ荷物は段ボール12箱、入り口に山積みにされていたんですよ」と笑顔で話してくれた。
文子さんの長年の友人が、身寄りのない彼女に変わって、連絡を取り合い、主のいない部屋を何か月もかけて整理し、映画関係をまとめて、フィルムアーカイブへ運んでくれたのだ。
ゴミ収集車でひとまとめで運び捨て去ることもできたのにーー文子は本当に、いい友人に囲まれて、闘病していたのだなあ、とつくづく思った。
文子さんの住んだアパートへ
つぎに、文子の暮らしたアパートを訪ねた。場所はUバーン2のNollendorf駅からすぐ。



この駅から数分の通りに面したアパートの最上階に文子が住んでいた。
(右から3つ目、ベージュのアパート最上階ー中庭はさんで反対側なので、ここでは見えませんーに文子がすんでいた)

驚いたことに、入り口の住民ボタンのところは、まだ「MATSUYAMA」の名前がついたまま。彼女は公営アパートに入居していたが、親族のOKでるまで国も市もアパートに入れないし、ましてや鍵をこじあけて、中のものを整理することはできないそうだ。、プライバシー厳守すごいですね。
数か月かけて神奈川に住むおかあさんの委任状がとれたので、やっと市から鍵をもらい、友人たちが中にはいり、室内を整理することができたそうです。
totoebi01 at 14:44|Permalink
2015年03月11日
ベルリン再訪2015/2/13(3)
ベルリン国際映画祭へ

(2/14Award & Closing Ceremony 始まる前からスターを見ようと集まる人たち)
ぐっすり寝て、朝食をがつがつ食べ外出準備を終えて待っていたら、9時30分、Tさんが迎えにきてくださった。
2人でZoo駅前から200番バスにのりポツダム広場へ。
見えてきました2015年ベルリン国際映画祭の看板。

(上映映画館やカフェがある路地も映画祭一色、木々に星と大きな雪がふってくる動く電飾。これは薄暮
に撮影。この金色の飾りが全部動いていると想像してね。きれいでしたよ)
まず、プレス事務所があるグランドハイアットホテルへ。
プレス配布の窓口にいた人に、メールをやりとりした人の名前を告げると、あちらの部屋へと教えてくれた。
プレス発行責任者が3名いる個室だ。
そこで、これまでやり取りしたメールをプリントしたのをみせると、すぐわかったらしく握手し、「文子がなくなって本当に残念」とおっしゃった。


(「天の茶助」プレス試写及び授賞式プレス用中継をしたしシネマコンプレックスのCINEMAXとチケット売り場)
映画祭は2月5日からスタートしてる。私が到着した12日は最終日2日前。
もう、一時の混雑は下火になり、多くの海外の記者たちは帰国してるようだ。
私は東京から持参したシネマジャーナルを渡し、文子さんの最後のベルリン映画祭レポートの記事を指し示すと、じっと見て「ありがとう」といて棚にしまった。
結局、見る日が2日だけなので、ワンディプレスを2日間許可してくれた。
また、メールでいっていたデポジットとして60ユーロはいらないという。
明日の受賞式は夜遅くなるので、事務局の職員は先に帰ることになるので、プレスカードはホテルの受付に預けていただけばいいですよ、と封筒までくれた。
コンペティション作品
『天の茶助』プレス試写を観る

(外の大型スクリーンでは最終日にお披露目した「天の茶助」関係者記者会見の様子がうつされていた。)
プレスの責任者は、「今日、プレスカードで日本の「天の茶助」が見れますよ」と、時間と劇場を書いてくれた。
午後3時半からはじまった試写。後で書く、文子の生前住んでいたアパートへ行ってから、戻ってしっかり観ました。
CINEMAXシアター3の会場は満席。なぜ?つまり、明日にも賞が発表される映画祭の終わり近くに、コンペティション作品のプレス試写(プレスカードがあれば、フリーパスで観ることができる)はほとんどないからでしょうか。明日結果発表ですよ!今頃、審査員は最後の選定に入っているときに、プレス試写?賞をすててるのでしょうか。映画評は、日本での公開はこれからなので、のちほど。
事務局の女性が、授賞式についても教えてくれた。「明日の受賞式は会場でも見れるし、映画館でプレス用に中継し、英語訳をつけますが、どちらがいいですか」
私は撮影や観光に着るカジュアルなものしか持ってきてないし、英語訳が付いてた方がいいので映画館でみることにした。後で考えたら、なにも私が受賞するのでないから、ふつうの服でよかったんですわ。自意識過剰かしら。
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