映画や読書の感想

2019年02月15日

ミッドナイト・イン・パリ

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ウディ・アレンが脚本、監督でスペインが製作。2011年の作品。アカデミー賞、ゴールデングローブ賞の脚本賞受賞。

前から見たい見たいと思っていたが見逃していた映画。やっと無料でネット配信を見つけたので即鑑賞。
面白かったです。パリの情景がことのほか美しい!
仕事がらみで一人でパリへ行き、ハンディデジタルビデオで、いろいろ景色を撮影をしたことがあるのだが、いざ、撮影と言っても人や車、陽のさし方、雨で道路が光るところなど、なかなか撮影できない。この映画では、パリの町並みを一番いいアングルで次々出してきた。

ああ、やっぱり緑があるといいなあ。私は2月だか3月の冬だったから、シャンゼルゼ通りはじめ、ほとんどの街路樹が枯れ木で寂しかったけど、この映画は夏少し前かなあ、コート着てる人もいたから5,6月か9月ごろかもしれないけどとにかく青空と緑の木々が美しい。
それに、一人旅は夜は危ないと思って出歩かなかったけど、夜の通り、特にセーヌ川に映るルーブル美術館や船の明かりがほんと、ロマンチックで憧れる。

ウディ・アレンは『マンハッタン』でも冒頭で、マンハッタンの代表的なランドスケープを次々だしてきた(終わりだったかな…)けど、町をよく知ってるからだろう。突然、現場へ行って、観光名所だからととるだけではあの心をかきむしるような風景は撮れない。

過去はいい時代だったと懐かしみ、現在から逃げたいのは、どの時代の人も同じ。主人公のシナリオライターで作家の男性はヘミングウェイが滞在していた1920年代のパリを懐かしみ、ピカソの恋人は、1870年ごろのベルエポック時代に行きたいと願う。で、ベルエポックの人たちは15,6世紀のミケランジェロに会いたいと思うだろう…って笑ってしまった。

ところどころとてもユーモアがあって笑えるのも楽しい。

それにしても1935年生まれのウディって生涯現役、本当に創作意欲が衰えないなあ、すごい。

※写真はポスターより、コピーしました




totoebi01 at 23:35|Permalink

2018年11月01日

トレジャーハンター クミコ

今頃この映画…って2014年に観た方は思うかもしれないけど…
数日前、ネットTVで鑑賞
感動しました!
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  唯一の家族、ペットのウサギも、ミネソタに連れて行けないから捨てる決意…
  全編通してこの表情のない顔の凛子さん


 日本女性を主演にしたアメリカ映画『トレジャーハンター クミコ』(2014年 監督デビッド・ゼルナー)を観た。この話、2001年、ミネソタ州で起きた実話をベースに作られたらしいが、知らなかった。日本ではあまり報道されなかったが、米国では大々的に報道されて一種の都市伝説になっているらしい。 
 
 都会に住む孤独なOLクミコ。会社では自分を女中のようにこき使う上司、美容や男の話しばかりの同僚、電話をかけてくるたびに「結婚は?」「彼はできたの?」「実家にもどれ」とせっつく母親。イラつく毎日…唯一の楽しみは映画『ファーゴ』のビデオ。その中に男がミネソタ州の人のいない雪の原野のフェンスの下に大金を埋めるシーンがある。何度もそのシーンを見ているうち、その金を探しに行くことが唯一の生きる証と考えるようになった。

会社をやめ、ペットのウサギを処分し(これがドキっとする)、上司から買い物を頼まれたときに預かったクレジットカードの金を資金にミネソタ州へ向かう。途中でクレジットカードをとめられてからは、無銭飲食、タクシー乗り逃げ、宿代踏み倒しなど親切な米国人を足蹴にしながら、雪深い目的地近くまでくるが…。

 彼女はなぜ映画なのに大金が埋まっていると信じたか?それは画面上に「この話は実話です」とテロップがでたから。本当は実話ではなく、映画の演出のひとつだった。紛らわしいなあ。演出ってどういう意図があったの、コーエン兄弟さん。

 その皮肉なのか、じつはこの映画も実話に見せて実話じゃないのです。2001年、小西たか子という日本女性がデトロイトレイクスの近くで凍死したのは本当だが、宝探しで力尽きたのでなく、恋人のアメリカ人とデイトした場所で、別れてからも彼を忘れられず、この地で自殺したというのが真相らしい。何でそれがトレジャーハンターになっちゃったのか。彼女はあまり英語が出来ず、彼女と接した人たちの証言の中で誤解が生まれたらしい。その真相は別にドキュメンタリー映画になったというから、いかに欧米人の関心が高い出来事だったかわかる。そのドキュメンタリーも観たいなあ。

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            州警察官役で監督自ら出演


 とにかく菊地凜子さんの演技に脱帽。他人とのコミュニケーションがとれず、ほぼ欝状態になっていくOLの姿。唯一、自分の存在を認めてもらいたいと願う母親は、そういう娘の心をいたわり、寄り添う気持ちがない。クミコはきっと子供の頃からいい子だったので、母親が逆に娘に甘えてしまって、なんでもずけずけ要求を押し付けてきたのだろう。あらゆることに耐えてきた気持ちが持ちこたえられなくなって爆発したのが、何もかも捨ててミネソタに向かう行為だった。

 OLの追い詰められていく心境を淡々と描いたシナリオはとても良かったと思います。変に日本女性とはというバイアスがかかってなくて、ストレートにクミコの心情を追っている。脂ぎったスケベ男は出てこない。パワハラボスですらユーモラスで愛嬌があり笑える。また心情を映像にするってすごく才能がいると思うが、実に一つ一つ切り取られた映像、東京雑感もミネソタの雪原も適切でかつ美しかった。
たしかに観終わって欝になりそうなのはよくないけれど、ああやって自分を爆発させて、一人で死んでいくのも悪くないなあって思わせる映画だわ。それに泣ける。
                               ※写真はウエブより使わせていただいております


totoebi01 at 00:46|Permalink

2018年10月18日

ペンタゴン・ペーパーズ最高機密文書 原作読んでわかったこと

映画『ペンタゴン・ペーパーズ最高機密文書』を見て、キャサリン・グラハムさんてどんな女性かなあ、と考えた。そうしたら、図書館で『ペンタゴン・ペーパーズ キャサリン・グラハム わが人生より』という本を見つけた。
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キャサリンが書いた自叙伝の後半部分の本
これは彼女がワシントンポストの役職を引退して73歳だったかな、そのぐらいから自分で書いた自叙伝『キャサリン・グラハムわが人生』の後半だけを、映画の公開にあわせて、再出版したみたい。なので、彼女の親たちの生い立ちや結婚などは前半なので、この本にはない。
スタートは夫が死んで彼女がワシントンポストの社長になるところから。

グッドワイフから、突然新聞社の社長に!

映画を観た人なら、社長となってからの悪戦苦闘は知っているだろうが、本はもっと内面的で、どうやったら男社会の新聞の世界に分け入っていったか、が詳しく語られている。
新聞編集、経営などすべて初心者、周りはやり手の夫とワシントンポストを育て一流新聞にした凄腕ばかり。バカにされ、どうせ主婦にはわからないだろう、なのに社長になっちゃってと嘲笑する人もたくさんいた中で、子どもを育て、親の世話をし、社長業をはじめる。

男社会で味わう初めての差別

彼女の最初の仕事は決断、あれを決めてこれを決めて…、人事の不満が出たり、やめていく人がいれば、その代わりの人を探す。この人事が大変だったらしい。それらを一つ一つ克服して、新聞社をさらに成長させた女性。

読んでいると、お嬢様として育ち、能力はあっても表に出さず、名門女子大を出て、親の進めで結婚、(夫は一流大学を出てワシントンポストの社員だったのを創業者の父親が見初め、一人娘のキャサリンとくっつけた、養子だったみたい)。で、父親が引退するときに、娘のキャサリンでなく夫に新聞社を託したが、彼女には当たり前のこととして不満もなかった。夫がそのまま社長であれば、彼女は慈善事業には参加するぐらいで、基本4人の子どものいい母親であり、グッドワイフとして一生を終わったかもしれない。

人生を変えた夫の自殺
ところが夫が突然死ぬ。自殺とは書いてあるが、詳しく書いてないので調べてたら猟銃自殺だった!
で、自叙伝の前半部分がネットに公開されていたので、夫の死の部分を全部拾い読みした。
なんと、夫は社長となり、会社を大きく成長させ、一段落したとき、買収元のニューズウィークの女性記者と浮気。彼女をパリ支社に転勤させて、2人はパリで逢瀬を楽しんでいた。
ある日、夫と愛人の電話を盗み聞きしてそのことを知り、問い詰めるとあっさり「そのとおり、本気だから、君とは離婚手続きをはじめたい」と言ったという。
それからの彼女の苦悩…、と同時に夫の苦悩。すごくやり手で頭の切れる男だったが、基本まじめで簡単に浮気ができない男らしい。二人の離婚騒動は会社にも知れ渡り、夫はアルコールを飲んで暴れ情緒不安定になり、病院に入れられる。そこで夫婦で冷静に話し合い、浮気相手の女性記者も別れるといい、一件落着した。
で、2人でやり直しもかねて、家族で毎夏過ごした島の別荘で2人だけで過ごしていたある日、2人でベットで音楽を聴いて、キャサリンが目を覚ますと横の夫がいないと気がつく。すると別の部屋から銃声の音。駆けつけると夫が自分の猟銃で自分を撃って死んでいた。すごいなあ。こと細かく、しっかり書いてある。

こうして彼女はキャリアウーマンへ

つまり彼女は、差別や苦しみから女性運動を始めたたたき上げでなく、恵まれた富豪の家の一人娘として、当たり前のように幸せな主婦をしていたところから、突然、夫の自殺で男社会に放り出され、社長という立場もあってまわりに相談もできず一人で戦わなければならなかった女性。
家庭にべったり入り、子育て、いい主婦?を10年以上経験してきて、40歳で独身に戻った自分としては、読んでいて身につまされるところが多い。どうやって彼女はいろいろと乗り越えたんだろう。その後仕事をもちながら恋もしたが結婚までいたらなかったことも正直に書いてある。自信があるんだなあ。

なんで自分で自叙伝を書いたかというと、ほかに3冊くらい他人が書いた自叙伝があるけれど、嘘ばっかりだから自分で書こうと思っていたと告白している。すごいと思うのは自分を飾らず、はじめから最後まで客観的に見ている視点、これは生まれついてのジャーナリストの才能をもっていたんだわ、きっと。自分が書いたら、よく見せようと思って、いいところは盛って、いやなところはカットしそうだな、私だったら。

※ちなみに帯の「米政府と対立した」うんぬんかんぬん…は映画であって、本では対立は無かったと思う、むしろジョンソン元大統領ととても仲良かったと書いてあり、しかもジョンソンはすばらしい大統領であるとほめている。よくわからないけど日本では、JFKの後に座った怪しい大統領?って印象あるね、うん オリバー・ストーンのせいかな



totoebi01 at 00:09|Permalink

2018年07月13日

『小森和子自叙伝 流れるままに、愛』

I have  red this book two or three times.
Kazuko is female famous film critic in Japan.
She was born in 1909 (42 Meiji) and died in 2005 (15 Heisei).
と英語で書き出したけど、ばかみたいに時間がかかりすぎるので、日本語に…英語の勉強にならないわ。
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おばちゃまの体当たり人生、脱帽
『小森和子自叙伝 流れるままに、愛』は読み出すととまらない。
小森のおばちゃまが、世界中の男は自分を愛してくれると自己愛満載で、思わず噴き出したり、うんざりしたり。
彼女に落ち込みや自己否定はないみたい。人生の岐路にたっても最後は過去をすてて、前に進む。といってもこれは高齢になってから振り返って書いているのでそうなるのかもしれない。実際は悩み、自殺まで考えるほどぐちゃぐちゃだったのかも。
 
それにしてもぶっちゃけて書いている。薄汚い待ち屋で、医者の息子と納得づくで処女をすてた話や、菊池寛や、川口松太郎に可愛がられてペットのような存在になって贅沢しまくり、川口松太郎の紹介で映画雑誌社を紹介され、淀川長治と出会ったことなどエピソードがたくさん。
いろいろな上等な男たちと遊び、慶応の学生で初代NHK会長の一人息子と結婚、そして離婚のごたごたから淀川長治の計らいで、雑誌社特派員として、アメリカからヨーロッパまでおよそ5ヶ月、海外を取材旅行。交通費はもちろん、給料もだしてくれる。これも和子さんの魅力なんだろうな。うらやましい。
 
この海外漫遊でであった映画スターや日本の作家とエピソードがすごい。
まだこれからという無名の日本の女性映画評論家に世界の大スターがつぎつぎ取材にきてくれ、と連絡がくるだろうか…、当時、日本人はめずらしかったのか。いや、よくわらかないが、日本にヨーロッパ映画を紹介したパリ在住の川喜多夫妻や、NHK会長の息子の嫁という立場がビッグコネクションになっていたようだ。だって、パリに着いたとき、当時NHKのパリ総局の職員だったNHKニュース9の初代キャスターになった磯村って人がオルリー空港に迎えにきており、ホテルの手配や、滞在中の世話もしている。これが現代だったら大スキャンダルになっていたかも。
離婚のごたごたで逃げてきたのに、そのごたごた相手の実家の力をフルに利用して海外漫遊ってのも、すごく頭がいい女性だと思う。最後まで利用してやるという気持ちだったのかな。おそろしいけどスカッとするよ。
 
彼女はニューヨークで当時流行作家の壇一雄と出会い、お互い異国だけの情事と割り切って同じホテルで同棲し愛欲の限りを尽くす。当時、家宅の人として日本から逃げてきたような壇一雄さんと、離婚のごたごたから一人の女性として生きることをスタートした和子さんの出会いは中年の最後の残り火が燃え尽きるみたいドロドロ激しいけど、彼女が書くと不思議とさらっとしてて、物悲しく、でもぜんぜんいやらしくなくて…やっぱり理屈ばかりこねている人より、行動して人生を乗り越えていくおばちゃまの生き方は人間くさくて好ましい。
 
一時ニューヨークからインディアナポリスへ行きジェームス・デイーンの墓参りをするくだりも面白い。和子さんはジミーと面識はない。映画雑誌編集者として無料の試写会を見まくっていたとき有望の新人スターとしてあこがれている間に彼は自動車事故でなくなったのだから。でも、彼女は、まるで長年の友人のごとく実家を訪ね、ジミーとそっくりの祖母に歓待され、なんとジミーの暮らした部屋の彼のベッドで寝て、
ジミーが大好きな食べ物をつくってもらって食べ墓参りをする。普通そこまでするでしょうか…、近くのホテルにとまったらどうなの。生前の知り合いでもないのだから…と思いつつだんだん腹が立ってきたが、時代を考えたら適当なホテルもみつからない場所なのかな。
 
で、西洋から戻ってからの彼女の活躍はテレビやラジオでご存知のとおり。
いまだと、和子さんは映画評論家というよりタレントだろうか。クロちゃんやリリコさんとも違うな。とにかくユニークな女性であった。 
和子さんが明治42年生まれ、私の母は大正2年だから、母より5歳も年上の女性であることとを考えると驚異的fだ。


母は貧しくて、高女へは進学せず、十代で神戸の船会社の社長宅の住み込みお手伝いにはいった。その家は子供がいなかったので、奥様のお供で宝塚や歌舞伎など連れていってもらったらしい。当時珍しいジャズバンドのドラマーだった父とはその家のプライベートパーティで知り合ったという。演奏しに来たバンドマンと若い女中さんの出会いか。父はまた神戸を代表するいくつかのダンスホールで演奏していたから、ダンスホールで慶応早稲田東大の学生と遊んでいた小森さんとは会っていたかもしれないなあ。父母もダンスや映画が好きで同世代の人たちよりハイカラだったが母は結局一生、海外へいかなかったし、不倫も、女性の自立とも縁がない人だった。何度もいうけど、戦前から英語ができて、戦後は海外を飛び回った和子さんは当時の女性の何倍も人生を生きたといえる。


totoebi01 at 18:30|Permalink

2018年02月23日

The Greatest Showman グレイテスト・ショーマン

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                   (C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
みぞれ交じりの雨が降る寒い日、平日。きっと映画館はすいてるから出かけた。
といっても、土日は行かないので知らないが、平日は晴れてる日でもガラガラなことが多いが。

『ララランド』の音楽チームが担当しているとのことで、観たかった。
実在の伝説の興行師、P.T. バーナムをヒュージャックマンが、
彼のよき理解者で妻を『ブロークバックマウンテン』のミシェルウイリアムズ、
バーナムの仕事のパートナーを『ハイスクールミュージカル』でブレイクしたザック・エフロンが演じている。

貧しい仕立て屋の息子に生まれた男が、なんとか金持ちになりあがりたくて必死に働き、よき妻を得て、成功…、気が付いたときは妻も子供も仕事も失い、やっと仕事の仲間、家族の大切さに気が付いて、妻と子どものもとへ戻っていく…。けっこうある話。ただ、ミュージカルで、男の仕事が興行師であるところが違うのかな。
映画でストーリーを話すほどむなしいことはない、感覚なんです、この映画、なんといっても前半が圧巻。

バーナムは普通でない世間から疎まれ虐げられてきた人たちを見世物小屋に集めてショーをやろうと思いつく。
集まった人たちはお化けみたいなのもいるが、バーナムは、人間の本心は、とりすましていても、見たくないもの、隠されているものを見たいのだ、と確信していた。

廃屋のような博物館を買い取り、改装し、全米からタブーにされていたゲイや性同一障碍の人、毛むくじゃら、入れ墨男、小人などを集め、見世物小屋をひらく。あの手この手で宣伝し、開催。
演劇やオペラの批評家は、ショーを見て眉をひそめ、イカサマ師とバーナムを酷評。
でもお客は日増しに増え、お金もザクザク入り、これまで笑われたり、虐げられてきた見世物小屋の主人公たちは報酬をもらい、自分たちも何かできるんだと自信とプライドを持ちバーナムに感謝する。

虐げられてきた人たちたが、社会に抗議し始める(目覚める)ところの音楽と踊りが圧巻。『This is me』のCDほしいな。
悲しくてもつらくても前向きに生きる人たちの力は強い。それでも映画設定の20世紀初頭は上流、下流社会、貧富の差は激しく、どんなにがんばっても乗り越える壁は次々やってくるのだ。

見世物小屋と現在のマスコミとがリンクして「フェイクダだ、フェイク」なんて言葉も出てきて、現代の風刺になっている。笑えるシーンも多い。

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空中ブランコにのりながら、階級差を乗り越えた禁断のカップルのラブシーンも、魅せられた。

ヒュージャックマンはいまや大映画スターだが、実は歌って踊れるミュージカルスターでもある。
2004年にオーストラリア人作曲者兼俳優のピーター・アレンの生涯を描いたブロードウェイ・ミュージカル『ザ・ボーイ・フロム・オズ』でトニー賞ミュージカル主演男優賞も受賞している。
翌年にトニー賞受賞式は司会を務め、みんなの前で踊りを披露。当時wowowで観ていて脚がよく上がるなあと感心。友人がブロードウェーで『ザ・ボーイ・フロム・オズ』を鑑賞し、出待ちしてヒューにサインをもらった話も思い出した。とても気さくな人らいい。

妻役のミシェルウイリアムスも懐かしかったなあ。テレビドラマシリーズ『ドーソンズクリーク』の大ファンで全話観ていた。主役はトム・クルーズの妻となり離婚し、いまジェイミー・フォックスとラブラブのケイティ・ホームズだったが、ミシェルはこの片田舎にニューヨークから訳ありで祖父母の元に越してきた同級生役。不良で早熟でニューヨークの高校で問題ばかり起こすので、親が、体よく田舎の親のところへ追いやった子という設定。いい子で明るいケイティとは真逆の暗くてちょっと怖いが愛に飢えているミシェル。演技もうまかった。

もうひとり、バーナムのよき理解者でパートナー、後継者となる若者はあの『ハイスクールミュージカル』のイケメン、ザック。すっかり立派な体格のお兄さんになって、空中ブランコもスタントなしで自分たちでやったとのこと。はらはらしたけど、美しいシーンだったなあ。



totoebi01 at 12:12|Permalink