[原口鶴子の青春]映画日誌

2010年12月03日

同窓生の皆様の上映会/世田谷

日本女子大学桜楓会世田谷3支部共同上映会が11月23日、成城ホールの会議室で開催された。準備はなんと一年近く前から。映画を上映するのは初めてとのことで、上映会開催の手順、チラシや広報の仕方、DVD上映に際してのご注意など、いろいろお教えした。関連本、本作品DVDもご好意で受付に置いていただいたが、なんとどちらも完売。同窓の大先輩の活躍に、感銘を受けたとの感想が多く寄せられているそうだ。

製作して3年、劇場公開も果たし、念願のニューヨーク上映会も実現して一段落しDVDを作ったが(何度も書いていますが、自分にとっては一大仕事でした)、嬉しいことに多くの大学からご注文をいただいている。多くのといっても一般的なDVD作品がどのくらい売れるのか知らないが、私の場合は最初に作った自主製作作品と比較してという意味で、商売的にみたら少ないのかもしれないが。

一番多いのは、心理学の研究室、大学附属図書館からのご注文。
ほかには男女共同参画を進める地方自治体のセンターの資料室や図書館、英会話や留学のグループ…さまざまです。
それにしても、そのご注文のほとんどがホームページを見てDVD化を知ったという方で、時代が変わったなあと思う。ほんの一昔前だと、自主製作作品を作ってDVD化しても、その販路は配給会社にお預けして売っていただくしかなかった。それには宣伝費、委託費などもろもろあって、到底、貧乏製作者には頼むことすらで出来なかった。それがいまは、やろうとおもえば、アマゾンにも個人で預けられるし、こうして、自分でホームページを作ったら、それをみてご注文いただく時代になったのだ。しかも日本全国、海外からも。それだけ、やりがいがあるというものだ。


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2010年10月29日

第23回東京国際女性映画祭

10月23日から、麹町のセルバンデス文化センターで開催されている東京国際女性映画祭へ行った。3年前の第20回目に私の作品である『心理学者 原口鶴子の青春』が、はじめて一般公開された思い出のある映画祭だ。上映日、前売りチケットが完売し、当日売りを買ってくださるお客様の列を見たときの感激は昨日のように覚えている。
今回は上映作品も少なく、日本映画が羽田澄子さんの作品と映像学校の学生の作品だけと、少し寂しいが、私が観た劇映画『木洩れ日の家で』(ポーランド)と『Take My Eyes』(スペイン)は両方とも見ごたえ十分の面白い作品だった。
『木洩れ日の家で』は大きな木造の屋敷で暮らす90過ぎの女性と愛犬の淡々とした日々をモノクロで描いたもの。ポーランドの名高い女優で当時91歳のダヌタ・シャフラルスカが魅力的に演じていた。犬の演技も最高。木洩れ日の美しさがモノクロ画面にさまざまな形で現れ、人生の終焉を物悲しくも希望をもって映像化していた。
『Take My Eyes』はDV(ドメステック・バイオレンス)を扱ったもの。DV夫に半殺しの目にあい、妹の家に逃げるが、懲りずにまた夫の元に戻る妻の相互依存の姿が緊張感のあるドラマの中でじっくりと描かれていた。DV問題は日本ではあまり深刻に受け止められていないが、ニュースになる事件の多くはこの問題がからんでいる。上映後のDVに詳しい専門家の方のトークでは、日本は韓国などに比べ、子どものDV教育が立ち遅れているとのこと。せめて中学からキチンと学校で教えてほしい。DV教育をうけていると、自分が思春期になり、女性に暴力を振るってしまったとき、これはDVかもしれないと、自覚できるらしい。また、女性も暴力を振るうからお互い様という考えがあるが、統計によると暴力の被害者の96パーセントは男性から女性や子どもへの暴力で、DVで女性が3日に一人殺されているそうだ。暴力を自分への愛情と考えてたり、この人は私がいないとダメになると信じてる女性たち、はやく目を開けてほしい。


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2010年09月23日

大阪府三島郡島本町で上映会とお漬物

2週間ほど前、DVDを購入してくださった方がグループで上映会を開いてくださった。場所は大阪と京都の境だとおっしゃっていた。で、主催者の方が、いざ上映準備のために会場に問い合わせると、そこはDVDの上映設備はなく、16ミリかVHSのみとのこと。で、上映会3日前に「VHSはないでしょうか」、と電話が入った。

そういえば、なにかの審査のためにVHSを作ったことを思い出し棚をさがしたら出てきた。最初のバージョンなので、完成品より4分ほど長く、またスーパーに間違いがあるので、それをお話すると「それでいいので、ぜひ貸してほしい」とのこと。急遽、宅急便でお送りした。

その後、無事、上映会が終了したとの連絡をいただきほっとした。「VHSがなかったら大変なことになってました」とのこと。せっかくの上映会が設備の関係で中止にならなくてよかった。VHSが役に立ってよかった。デジタル、DVD万能の時代だが、まだVHSの設備のみという場所もあるのを知った。

最初のドキュメンタリー自主製作作品「ニューヨークで暮らしています 彼女たちがここにいる理由」は販売用にDVDとVHSを作ったが、DVDは完売のため追加、VHSはまだダンボールに半分以上残っている。もうVHSで観る人は減っていくばかりだろう、と思い、「心理学者 原口鶴子の青春」はDVDのみ作成した。

本日、「100年前に留学した鶴子さんの勇気と挑戦する熱意に感銘を受けました」というお手紙とともに、おいしい漬物ががクール便で送られてきた。ここ数週間、野良猫を保護して獣医さん通い、新しい仕事の撮影などで、夏ばてなのか、食欲がなかったが、お昼にはキュウリの中央に生姜が入ってるお漬物で、白いご飯二杯も食べてしまった。そのほか、カブや大根、カボチャの浅漬けもある。ここ数日、食事が楽しみだ。


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2010年08月24日

日本女子大学桜楓会支部で上映続く

原口鶴子さんは日本女子大学校(日本女子大学の前身)の3回生。同級に平塚らいてうがいる。鶴子は英文学部でらいてうは家政学部だった。少し後輩に高村光太郎の妻、智恵子がいる。また宮沢賢治の妹で、賢治に文学的な大きな影響を与え、若くして結核で亡くなったトシも日本女子大学校出身である。

とにかくキラ星のごとく女性の才能がひしめいていることが作品を作ってわかった。現在も映画関連だけみても岩波ホールの元総支配人高野悦子さん、東京国際女性映画祭のディレクター大竹洋子さん、科学映画の草分けで、昨年92才でお亡くなりになった中村麟子さん、若手のホープ海南友子さん…まだいらっしゃるかもしれませんが、とにかく、これまで女性が足を踏み入れてない分野に進んで行った女性に、日本女子大学出身者が多いことは確かだ。

日本女子大は映画製作で、資料をたくさん提供してくださった上、卒業生の新聞である桜楓新報(驚くことに、100年前にすでに存在し、鶴子さんもニューヨークから寄稿していた)に何度も作品を取り上げてくださった。また、全国の上映会でも、卒業生の会である桜楓会の会員の方々が誘い合わせて、たくさんご来場いただいた。そして、いまもまだ上映会を各地で開催してくださっている。

7月に終わった桜楓会三島支部の皆さんから上映会報告をいただいた。鶴子さんの著書『楽しき思い出』が17冊も売れて、会自体もとても盛況だったそうだ。心理学者の先生が、観たかったがどこでもやっていなかったが、まさか三島でやってくれるとは…、と参加され、心理学上の鶴子さんの話もしてくださったとのこと。

また、ニューヨーク上映会に参加できなかったニューヨーク支部の方から、DVDの問合せもいただいた。いつ観れるのか、会の皆様が心待ちにされているそうだ。とても嬉しい。100年前、たった一人でニューヨークへやってきた鶴子さんの気持ちをもっともわかるのがニューヨーク在住の皆様かもしれない。行くことがあったぜひ、お会いしてお話したいと考えている。

昨今、若者が日本を離れて海外で学ぶことにあまり関心がないとニュースなどで目にした。私自身、日本は大好きだが、やはり、海外にわずかだが出てみて自分自身の中で押さえていたものが発見でき、大きな人生の転機になった。鶴子さんは、留学で得たものをこれから日本の役に立てようとした矢先に亡くなってしまった、無念だったろう。まだ、彼女の足跡に不明なところが残って、気になっている。これからも鶴子さんの勇気と努力をを多くの人に知っていただくよう頑張っていくとともに、ニューヨーク生活で空白な部分を解明できたらと思っている。


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2010年07月30日

鶴子さんのように英語力があったら…

22歳になったばかりの7月、ニューヨークのグランドセントラルターミナルにおりたった原口鶴子は、いったいどんな気持ちであの駅を見渡したのか。映画では、1912年、完成したばかりのターミナルの絵を、ニューヨーク公共図書館アーカイブから許可(もちろん有料)を得て挿入しているが、実際は、鶴子が到着した1907年はまだ改装中だった。何処まで改装されていたかわからないが、かなりごちょごちょしていただろう。

鶴子は、その中を迎えに来てくれたYWCAの女性二人に付き添われて、レキシントンアベニュー沿いの宿舎にはいった。この建物を探すのが一苦労だった。手記には歩いた道順だけあって住所がない。手記の流れに沿って地図で探したが、見当たらない。下調べでニューヨークへ行き、実際にグランドセントラルターミナルの周りを何回も歩いたが、広いうえに、自分でビル名を一つづつ確かめなければならず(日本のように尋ねまわることが…語学力のなさ)疲れてしまった。当時、駅に直結している立派なホテルがあるのがわかったが、「命がけでレキシントンアベニューを渡り宿舎にはいった」という手記にあわない。

で、結局、戻ってからニューヨークのYWCAにメールで問合せると、1907年前からNYC-YWCAが所有していて、資金難で2005年に現地のプロパーに売ったビルがあるが、それでないかと教えてくれた。しかも、そのビルは2007年に取り壊されるので閉鎖されており、外だけならまだ撮影できるとのこと。さっそくネットで調べたら、鶴子の手記と同じ階数があり、女性のためのトレーニングセンターや宿泊のための部屋があった。ここだ、間違いない!ただ、そのビルはレキシントンアベニュー沿いにあるが、ターミナルから行く場合、渡るという記述とは合わない。又調べ直すと、1907年当時、ターミナルの周りは今のように建物がびっしり建っておらず、道路だったから、鶴子がレキシントンアベニューを渡ったとカン違いしたのででないか…。2006年11月、最後のNY撮影の初日、建物を探しあてた時は、感無量だった。(現在は高層のインテリジェントビルとなっている)。

これだけ書いただけでも、ニューヨークでの製作中のあれこれがよみがえるが、鶴子は22歳で大きな荷物を抱え一人で乗り込んだわけで…、それだけで、尊敬してしまう。

さらに、語学力!留学前の一年間、母校の日本女子大学校で助手をしながら留学準備をしたとのこと。恐らく、英語の猛勉強をしたのでないだろうか。いや、数学と音楽と体育がずば抜けて出来たから、語学の先天的能力が高かったのか。留学した年のクリスマス、恩師の成瀬仁蔵先生に大学での受講の様子や勉強上の悩みをめんめんと書き綴った英文の手紙を送っている。日本女子大から撮影許可をいただき、撮影したが、その流れるような筆記体の英字の美しさ。アメリカ人もびっくりしていた。それから5年後、英文で心理学の論文を書いて博士号を取得!さすがと思う。

私も、もう少し、海外の人とコミュニケートして視野を広げたいと、遅ればせながら英会話の練習をしているが「もうダメ!」。中学、高校、大学…何年、英語の勉強してきたのか!無駄無駄無駄だった。僅か2ケ月だけど、ニューヨーク大学で映画の講義も受けた。家でみるテレビはニュース以外、ほとんど米ドラマで、英語にして聞いている。なのに、語学力が身につかない。というか、年とともに退化している。

簡単な挨拶や、質問はできても、仕事の交渉や取材となると、わからない、理解できない、伝えられない、焦る。英語が自由に話せたら…、親心から子どもたちに、英語だけでもマスターすれば失業しても仕事がみつかる、と話しても頷くのはサラリーマンの長男だけ。長女と次男は、「日本語が好きだし、アメリカへ行きいたいとも思わない」と言う。どうやったら、野心のある子どもになるのか、あまりに無欲すぎないか。

前のブログに書いたタハラレイコ・上杉幸三マックス夫妻が立ち上げた宇野港芸術映画座がいよいよ8月2日から8日まで岡山で始まる。「円明院 ある95才の女僧によれば」をはじめ内外のドキュメンタリーの秀作やニューヨークの子どもたちが作った短編も上映。ちょうど、直島で芸術祭も開催されており、バカンス(古い!いまは何ていうの?)かたがたが観にいかれたらどうでしょうか。
http://unoportartfilms.org/
「円明院 ある95才の女僧によれば」は8月18日(水)、東京なかのZERO視聴覚ホールでも特別試写会が行われます。監督夫婦も参加してお話もあります。そちらも、ぜひ、どうぞ。詳しくは、http://www.mrex.org/Japanese.html


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