[原口鶴子の青春]映画日誌

2016年02月28日

女性自身(3月8日発刊)に原口鶴子

先日「女性自身」の編集者から電話がきた。NHK朝ドラの広岡浅子は女子教育の先駆、日本女子大創設に支援したことから、同大学(当時は大学校)出身の理科系女性を中心に何人かを取り上げるとのこと。
鶴子さんがピックアップされ、彼女の足跡についてインタビューを受けた。
3月8日発刊号に掲載。原口鶴子さんは2ページ中央着物で座っている女性、きれいですねえ
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totoebi01 at 11:27|Permalink

2012年10月20日

サヨナラ 東京国際女性映画祭

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東京国際女性映画祭は、25回目の今年で、幕を下すことになった。
今年の開催は明日21日の1日のみ、3本上映する。
1回目から、仲間と作っている映画誌「シネマジャーナル」で取材していた。
ヨーロッパやアジアから女性監督が来日して、刺激的な、女性でなくては作れない映画を上映。
はじめのころ、日本の女性監督は羽田澄子さんだけだったとのこと。
海外に比べ日本の女性監督の少なさは今も変わらないが、それでも増えたのは、地道に上映してくれるこのような映画祭があったことも大きな力になっていた。
私も監督として名前を出した作品を最初に上映してくれたのはこの映画祭だった。

今年でお終いはショックだ。いろいろ理由はあると思うが、やはり、文化芸術の予算の削減じゃないかな。
ここにかかるような映画はインデペンデンツが多いし、テレビ局がバックにいるのは珍しいくらいだから、映画祭自体の知名度や宣伝にご苦労されてたのだろう。

国の支援はあったのかな。
同じアジアでも、ソウル女性映画祭は国が全面的にバックアップする映画祭。参加した人の話しでは、規模も運営人数も資金も日本と比べられないほど豊かで勢いがあるとのこと。

私たち女性にも継続を後押しできなかった悔いがある。
若い人たちは特別に女性映画祭へのこだわりがないのかもしれない。
女性でなくては作れない映画など、なくなったのだろうか。

明日の夜は関係者が集まるとのこと。
私も参加させていただく。

totoebi01 at 23:43|Permalink

2012年04月15日

豊田市と下落合、中落合

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4月10日豊田市駅前のホテルの一室で女性グループの皆さんとトーク。久々のお話で緊張したが、昼食を食べながらだったので、だんだんリラックスしてきた。最後には一人一人の活動を聞かせていただいたが、語学能力を生かして、愛知にやってきた外国人のこまごまとした生活のための手続をアシストしたり、声楽、ピアノの先生で自分達もグループでコンサートをやってる方々、また女性史のアシスタントとして、活動されてる方など、生きがいをもって前向きになにかをしている方ばかり。自分も無理せず、目標をもって進んで生きたいと思った。

豊田市は初めてだったが、駅前が世界のトヨタらしく?近未来的な円形ビルや空中回廊があってすごいなあ、と思った。前日、新幹線で名古屋へはいり、地下鉄鶴舞線の梅坪に住む友人宅に一泊。400年以上の伝統あるお家で、広い庭にいろいろな花が満開。ガーデニングでなく、木が満開なんです。桜や梅、蝋梅など。居ながらにしてリゾート気分になってしまった。風もなく、晴天だったので、友人が車で植物園や地元で有名な高校の正門に続く桜並木、豊田市美術館(休館だった残念)に連れて行ってくれた。

美術館は、NY近代美術館と同じ設計者が設計したそうで、四角を基調としたエドワード・ホッパー風色使いのモダンなフォルム、回りの水やあやめの花の配置、それらを取り囲む里山風自然ーー、本当にモダンと里山が一体となって、感動した。

名古屋から戻り、1日おいて、最高に天気がよかった木曜日、林芙美子文学館、佐伯祐三アトリエ記念館へ出かけた。リュックにお菓子を詰めて、マスク、帽子、スニーカーのお散歩スタイルでぶらぶら下落合、中落合を歩き、気持ちよかった!

生まれたのが東京新宿区の西武新宿線下落合から徒歩10分ぐらいのところ。子供時代の遊び場といったら神田川と妙正川の合流点の川べりと空地。
聖母病院は大学のときの盲腸手術、3人の子どもの出産、父母の入院、長男の盲腸手術、次男の喘息治療など随分お世話になってきた。その裏に、佐伯祐三がパリから帰宅し、またパリに旅立つまでの1年半、暮らした家があったなんて知らなかったあ。

パリで結核のために30歳で壮絶死した祐三、結核が移ったのかその半月後に6歳でなくなったお嬢様、夫、娘の遺骨とともに帰国した妻の米子は1972年、75歳で息をひきとるまでその家で暮らしたとのこと。キレイな奥様だ。川合玉堂のお弟子さんだとか。これが、のちの贋作事件に巻き込まれるひとつの要因になってしまった。真実はわからないが、ドラマを書く者としては、非常に興味をそそる筋書き。

林芙美子さんが40歳半ばで亡くなるまですんだ家もみてきた。納戸だった部屋が落ち着くと言って、そこを書斎にして、つぎつぎ物語を書いたそうだが、その部屋は納戸どころか、障子の真ん中に雪見窓がついた素晴らしい部屋。芙美子はその日、グルメのレポーターのような仕事でご馳走を食べ、夜帰宅後家族やお手伝いさんに土産のお汁粉を振舞い、この書斎にはいり、しばらくして苦しみ出して、そのまま逝ってしまったとのこと。もっとたくさん作品を書きたかったかもしれないが、苦労した分、いい死に方をしましたね、とボランティアの案内の方と話した。

その自宅は京都風の家で、芙美子が何度も京都に通い、素材から大工さんまで本人で決めたそうだ。桜、竹に囲まれた洗練された品のある日本の家だった。これも夫である画家の緑敏さんの管理がよかったから。彼は70歳代でなくなるまで、芙美子亡き後、この家で、バラを作りながら暮らしたそうだ。バラ園はいまは他の人の土地になっているが、緑敏さんが作ったバラでないと描かないという高名な画家もいたぐらい素晴らしいバラを栽培していたらしい。

林芙美子というと、森光子さんの放浪記、苦労の末に早死にした作家のイメージがあったが、パリ滞在記の「巴里の恋」を読んだら、素晴らしい夫がありながら、巴里でステキな若い男達のエキスをすって、恋までして、女冥利につきる。この巴里体験はその後の作品に自信と品格を与えているようだ。かわいそうな女流作家なんてとんでもない、自分の画家のキャリアまで捨てて、芙美子を支えた夫の元で、のびのびとつぎつぎ恋をして、ベストセラーを書き、あっという間にあの世へ行った。
下手に長生きして、努力するもお金に結びつかない自分としては羨ましくもあり、あやかりたい気もありーーこういう女性がいたというだけで、嬉しくもありの体験でした。

totoebi01 at 02:08|Permalink

2011年09月10日

名古屋で上映会 

久々に『心理学者 原口鶴子の青春 100年前のコロンビア大留学生が伝えたかったこと』の上映会があります。11月19日(土)ウィルあいち 大会議室 PM1:30~ 無料。
名古屋の映画グループ、ウィル・ミニ・ボックスが主催。いま「あいち国際女性映画祭」が開催されていますが、このグループはこの映画祭に集まった女性たちがその後、映画をみてみんなで語ろうということで結成されたそうだ。先日、お電話をいただき、上映がきまった。名古屋は、名古屋大学、あいち国際女性映画祭、映画館のシネマスコーレで上映公開されてきたが、何回もいろいろな人々に観て頂けるのは嬉しい。私も上映後のトークに参加する予定です。

詳しくは『心理学者 原口鶴子の青春』HP、http://www.sepia.dti.ne.jp/tess/
のお知らせのところからご覧下さい。


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2010年12月08日

群馬県高崎郷土史会上映会のご感想

高崎郷土史会は、昨年の11月に続き、本年も文化講演会で本作品を上映してくださった。原口鶴子さんは群馬県富岡市で生まれ、高崎女子高等学校卒業生(第一回生)。また、日本女子大学で鶴子さんに心理学という新しい学問があることを教えた若き心理学者、松本亦太郎(のちの東大教授、日本心理学会創設者)が高崎市出身であるという歴史のつながりから、この映画に注目してくださったと思う。
上映会から時がたってしまいましたが、会場にいらした高崎の皆様のご感想の一部を紹介させていただきます。。

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この映画は3回目の拝見ですが、度毎に感銘を受けるところが発見できます。今回は亡くなるとき、誠に、真正面に受け止め、旅立ったことは、学者、科学者として精神を鍛錬されていたのかと思われました。歴史の大きな流れの中の一人の人生とのつながりを述べられた最後のナレーションに感じ入りました。

素晴らしい映画と講演、本当にありがとうございました。大変感動しました!(高女)同窓会等でもぜひ取り上げていただけたらと思いました。講演も大変興味深く聞かせていただきました。

高崎映画祭で見逃した映画、本日実現しました、ありがとうございました。心理学を少し学んだ者ですが、彼女の存在は初めて知りました。ソーンダイクはデューイ、ビネーの活躍していた時代に同じ米大陸で研究していた彼女。素晴らしいです、ありがとうございました。

NHKラジオ深夜便で泉悦子氏が原口鶴子について語っていたので興味を持ちました。素晴らしい内容でした。もっと原口鶴子が日本中に名前が知れ渡るといいと思います。

泉さんのお話をうかがえる機会がありましたらご連絡いただけるとありがたいです。

今回、初めて原口鶴子さんの足跡を知り、大変勉強になりました。私自身、臨床心理士をめざしているものとして、同じ故郷に「松本亦太郎さん」そして「原口鶴子さん」がいらっしゃったことは、大変嬉しく思いますし、私も見習って頑張っていきたいと思います。

大変有意義な講演会でした。素晴らしい群馬の先輩女性を知ることができ、自分のワクを取り払って、現在の自分を見直したいと思いました。

群馬県に、この富岡に明治のはじめにこのような向学に燃えてアメリカに留学して博士号を得た女性がいたことに大変感動しました。私は教育TV(筆者 NHKラジオでは?)で泉悦子監督の話を聞き是非映画を観たいと思っていました。今日の映画を楽しみにしておりました。感動してみました。明治時代にこのように自主的に能力を追求していきた女性が、この高崎女子高校にいたことを誇りに思います。

あまりにも若く夭折した原口鶴子女史は残念ながら、恥ずかしながら知りませんでした。15年前にニューヨークにたった2日間ですが滞在した時歩いた風景が懐かしく思いました。才色兼備の女史が単身コロンビア大学院で心理学博士号を受け、当時では考えられない状況の中で心身ともに負担が大きかったことが後に急激に健康を害した原因でしょう。短期間の良き伴侶、道の友と知り合い、子をなし、その娘の家族が受け継いできたことが、映画の最後でわかり、安らぎを覚えました。言葉整いませんが、群馬の誇りで是非一般の人にも映画を見て欲しいです。原口女史の著作を読みます。高階先生のお話はいつも心の琴線に触れるものです。次回も楽しみにしています。


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