2016年07月

2016年07月21日

テレーズの罪

テレーズの罪(フランス 2012年 監督クロード・ミレール)は日本では2013年フランス映画祭で上映された。1920年代のフランスの片田舎、地主の娘テレーズとアンヌは親友。少女時代、広大な自然の中で二人は、男の子みたいに自転車を乗り回し、自由にきままに楽しく過ごした。この二人が辿る半生をドラマチックに描いた大作。
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テレーズ(『アメリ』主人公だったオドレイ・トトゥ)はアンヌの兄、ベルナールのいいなずけで年頃になると両家の納得で婚約。
ベルナールはテレーズに「自分たちが結婚すれば、両家の土地をあわせ広大な領地の主となる。親たちもよろこぶ。結婚とはこういうものだ」と話す。テレーズはそこに燃えるような愛だの恋だのはないが、そういうものだと考え式を挙げる。
セックスも冷めていた。猟に夢中で、なにも疑問を感じない夫をみて、互いに夫婦役を演じればいいんだと自分にいいきかせる。
妊娠もしたし、なに不自由もない生活に満足していたが、親友で義妹のアンヌが、村の川船運搬業の息子と恋に陥る事件が発生。自分はこんな味気ない結婚生活に甘んじてるのに、アンヌは燃えるような恋に狂い、駆け落ちまで決意してる。羨ましいような悔しいようなーー。当然、家族はこの身分違いの恋に反対、なんとか二人を引き離そうとアンヌを室内に閉じ込めるが、アンヌは神経がやられていく。困った家族はテレーズになんとかしてくれと頼む。

テレーズは相手の若者に会いに行き、別れてほしいと説明すると、男は本気じゃない、自分はこんな保守的村から脱出してパリ大学の入学を決めたという。アンヌはこの土地から離れず、身分相応の男と結婚してこの土地で一生を終る女性だと冷やかに言い放つ。

アンヌはテレーズの説得もあり療養のため家族と長期旅行へ出発、無事見送ったテレーズはホッとするどころか、自分の生活に疑問を感じ始める。なにかいらいらする。そして、心臓発作を起こした夫を殺そうとする。医者からもらうクスリのヒ素を、毎日少しづつ過剰にのませていったのだ。
クスリを飲んでいるのに一向によくならないベルナール。ますます苦しみだすのを不審に思った医者は、処方箋をだれかがいじって必要以上のヒ素を薬局から手にいれてると突き止め、犯人がテレーヌであると判明。しかし両家の不祥事が噂になることを恐れた家族は、テレーズを罰せず、屋敷の一室に閉じ込め、娘も引き離して幽閉する。

長々と書いてきたが、つまり家から離れられない女の悲劇、夫を殺す以外自由になれないと決心し殺害しよとしたテレーズは失敗するも家に閉じ込められ、生殺し。でも親戚の集まりには引きずり出して夫婦仲の良さをアピールさせられる。地獄の苦しみ。一度結婚したら女はその家から離れられないのかーーー。
いまなら、離婚という手があるが、1920年代のフランスの片田舎では家と家の合体だから個人の意思なんて受け入れられない。
夫ベルナールは元気になり妹アンヌは新たに良家の男との結婚が決まる。
ベルナールはすっかりやつれたテレーズに「妹が結婚したらパリへ行け」と言い、やっと家から解放してくれた。

あくまでも地主階級の話。当時、貧乏人は自由に離婚できたのかしら…、



totoebi01 at 16:41|Permalink映画や読書の感想 

2016年07月08日

第三帝国の愛人 ヒトラーと対峙したアメリカ大使一家 

面白い本を読みました、まだ映画になっていないみたい。
タイトルはちょっとうけ狙いすぎ。原題は「In the Garden of Beasts--Love Terror, and American Family in Hitler's Berlin--」 「野獣たちの庭にてーーベルリンのヒトラー時代の愛、恐怖、そしてアメリカの家族」。どこにも愛人なんて書いてないのに、なんでこんなタイトルつけるのか。
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作者はエリック・ラーソン 岩波書店
タイトルの通りヒットラーが台頭してきた時代のベルリンの町、上流の人々の暮らし、そこにアメリカ大使としてドッド一家がティーアガルテン通りの家に赴任してくる。アメリカから見ていたドイツと内側からみたドイツの落差、戸惑いながらも大使一家として頑張る彼らの暮らし、ヒットラーが総督となり戦争に突入していく急速な時代の変化などが、膨大な資料をもとにつづられているノンフィクション。
ベルリンの歴史に興味があったので、一気に読み終わった。

ドッド夫妻には20代の長女マーサ、長男ビルがいた。自由に育った彼ら、特にマーサはもてもてで、窮屈なドイツの上流社会を二股三股をかけて男から男へ奔放に生きていく。マーサはアメリカで一度結婚し、うまくいかず夫を置いて実家の家族とベルリンにきて離婚調停中というのに、ゲシュタポだろうが、ドイツ政府高官だろうが、はてはソ連のスパイだろうが親しい関係となって、青春を謳歌する。世間知らずだが合理的で憎めない上流のアメリカ女性の典型なのかな。
はらはらみている父ドッドはシカゴ大学歴史学部教授から大使へ。堅物で民主主義を愛する地味だが古き良きアメリカ人、妻は専業主婦で夫を支えてる。ビルは姉の光に隠れて、あまり目立たないが兄弟は仲がいい。

ドッド大使はヒトラーが権力を握るにつれて内部(突撃隊)粛清やユダヤ人差別を行っていることを知って、彼を警戒するようにと何度も大統領に進言するが、政府はヒトラーの人気は一時的なものだから批判は表にだすなという判断で、主張を曲げないドッドは1937年にとうとう大使を解任され、アメリカにもどる。そのあとのヒトラーのしたことは歴史的に世界中が知ることになる。

驚いたのは、ベルリンにいてヒトラーのやり方(宣伝上手、情報を統制、表向きは力強いリーダー風、根底はユダヤ人差別、アーリア人崇拝)を目の当たりにし警戒心を持って、いっときも安心した暮らしができなかったドッド一家を、本国の役人たち理解してなかったこと。彼らは「ヒトラーは時代の寵児、一時的なもの、すぐにブームはおさまる」とタカをくくっていた。米国だけでなくヨーロッパの国々もこのように楽観していたことがユダヤ人虐待をひろげるもととなった。
アメリカのユダヤ人たちが、ドイツでのユダヤ人差別に抗議集会を行っても、政治家はヒトラーを刺激するからその報道はしないように、また、穏やかに書くようにーーと統制した。
実際、集会を知ったヒトラーの命令で、ベルリンのユダヤ人が理由もなく拘束され、その場で壁に手をつかされ銃殺されていた。こういう悲劇が起きてることをベルリンの人たちはあまり知らず、旅行に、パーティにと普通の生活をいとなんでいたーーー。

私たちは毎日の生活に追われ、大変化がくるなど考えるだけでも疲れる。でも戦争とか、大災害は突然来たように見えて、実はもう前からじわじわその兆候はみえているのに、見ないようにしているのだろう。
あの時こうすれば、みんな助かったのに、というようなことをよく聞くが、おきた後からいくら考えても無駄。その分、おかしいなあ、と思った時点でおかしいと思ったことを見極めるように粘らなければいけないのだろう。おりしも選挙前ということもありいろいろ考えさせてくれる本でした



totoebi01 at 11:49|Permalink映画や読書の感想