2015年03月

2015年03月23日

ベルリン再訪2/14 (6)

ポツダムのサンスーシー宮殿へ

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ベルリン滞在2日目の2月14日(土)は、到着以来お世話になったTさんに休んでいただいて、一人であちこち尋ねた。
Zoo駅から30分、ポツダム駅からバスに揺られて20分くらいかな。宮殿前にとまった。
人が少ない。いやな予感。でも、まだ10時開館前だから、これから増えるだろうとおもって、宮殿入り口チケット売り場へ。
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しまっている。あとからポツポツ人がやってきたが、チケット売り場前をとおって、庭園へ。どういうこと。
ドイツ語、英語の掲示板をみたら、12月ー3月休館のようなことが書いてあり、4月openですって!
そんなこと、旅行ガイドに書いてないよお。

宮殿正面にむかって左側にあるという、この宮殿を建てたフレードリッヒ2世と、彼の飼い犬の墓を見て行こうって。
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ありました!犬の墓は11匹ぐらいいたなあ。
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フレードリッヒ2世の墓においてあるじゃがいもは、寒冷の痩せた土地でも育つじゃがいもの栽培を奨励したからだそうだ。じゃがいも大好き!
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そばにある風車。宮殿を建てた当時、風車が景観を壊すとのことで、取り壊しを命じたが、農夫が生活ができなくなると懇願したので、そのまま残したといういわれがあるそうだ。
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ポツダムは交通でいえばCゾーン。ABゾーンの1週間チケットだけで乗ってるのがわかったら罰金を取られるとのことなので、Cゾーンチケットを窓口で買ったけど、調べにこなかった。

ノレンドルフ駅からヴィンターフェルト広場の朝市へ

昨日尋ねた文子さんのアパートのある町へ逆戻りして、教会を囲んだヴィンターフェルト広場の朝市をのぞいてみた。お腹すいたあああ。
果物、乳製品、パン、季節がら編み物製品、皮製品、お菓子、惣菜などがずらり。
でも、悲しいかな、言葉ができず、注文できない。でもトマトが6個くらいついた房を1ユーロ以下で買って、立ち食い。甘くておいしかった。

市場を抜けて通りを進み、通り沿いにあるホビーの店、その先の台所用品の店へ立ち寄る。
なんで知ってるのって?あらかじめ、ガイドブックでしらべていたんです。

そこで土産を購入。といってもチマチマした品ばかりだけど。
何かかって宿で食べようと思ったけど、もう限界。
なので、駅のそばのファーストフーズへ飛び込む。
ナンのような皮に好きな野菜とお肉、チーズなど巻いたもの。

浅黒くてがっちりした兄さんが、とっても親切に、具をこれ?これ?と聞きながら包んでくれた。
しかも、紅茶みたいなあったかい飲み物を、ほかの人が注文してるのを見て私も注文。なかに、シナモンみたいな棒がはいっていた。紅茶なのか??甘くて暖かくてとってもおいしかった。
野菜や肉をまいた本体もおいしかったので、噛り付き、最速で食べた。
夜はベルリン国際映画祭受賞式へ

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夜の7時半から受賞式だ。宿で少し休んで、昨夜『天の茶助』を見たCINEMAXの今度はシアター7へ。
Zoo駅は本当に便利だ。バスでポツダム広場まで1本。早く到着したので、映画ミュージアムの中の本屋や、カフェを見て、アルカーデンショッピングセンターをぶらぶら。
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(こちらは、映画本も売ってるカフェ、上階に世界の映画本をそろえた本やがある)

まだ時間があるし、寒いのでアルカーデンショッピングセンターをぶらぶら。
ここの2階にきれなトイレがありますよ。私は何度も利用しちゃった。
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7時になったのでCINEMAXへ。 館内はほぼ満員。
最初の受賞者がなんと嬉しいことに日本人女性、瀬戸桃子さんだった。
受賞作は短編映画『プラネットΣ』だった。
私は存じてなかったが、フランスを拠点に科学映画?を作っている人とのこと。
日本語は全然使わず、フランス語と英語で受賞の挨拶。
作品は在住しているフランスの会社が応募したとのことで、そのプロデューサーも一緒だった。

大賞はイランの『タクシー』。前評判がよくて予想していた人が多いのでないだろうか。
監督は政府の監視下にあり、出国が許されなかったので、映画にでていた姪のかわいい女の子が代理でトロフィーをjもらった。おじさんの気持ちを考えたのか泣きじゃくっていた。

授賞式終了後、9時半ごろから大賞受賞作品の上映があり、一般観客と混じってプレスを持ってる人も見れたが、帰りが不安(夜道を一人で宿に帰った経験ないので)、あきらめて帰ることに。

プレスカードを返しに事務局のあるハイアットホテルへいったら、ちょうど、事務局フロアーが記者会見場になっていた。ワンディプレスでは受賞会見室には入れないので、「このプレスを返しに来ました」と入り口でガードしている人に言ったら、何をおもったか「ヤーパン?」私「イエス」といったら、会見室のドアを開けてくれて、「ヤパン、ヤパン」と中に入れてくれた。
                                     (C)tessplanning ベルリン映画祭関係は転載禁止です
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何だろうと思いつつ、押される形で中に入ったら、瀬戸桃子さんの記者会見がはじまった。そうか、日本からわざわざ取材に来たおばあさんと思ってくれたのかもしれない。
日本女性は素晴らしい!と感動が湧き上がり思いっきり拍手した。

思わぬ体験ができて、夜の10時過ぎ、バスに揺られZoo駅へ。それから夜のクーダムの通りを一人ぶらぶら歩いて宿に戻った。こあたり治安がいいのか悪いのかわからないけど、変な人は見かけなかった。自由っていいなあ。




2015年03月16日

ベルリン再訪2/13(5)

今書いていて、ベルリン到着翌日、時差ボケもなくよく動けたなあと自分ながら感心する。
ある時から、ホテルは個室、朝食付きを探すようにした。
到着日、よく寝ること、朝はたくさん食べること。こうすると、なんとか時差ボケをしのげるのだ。

ケネディ大統領が演説した
         シェーネベルク市庁舎へ
文子の部屋はエレベーターなしの7階最上階だった。息を切らしながら登ったが、病気末期の彼女が毎日、ここを上り下りしてたのかと思う感慨深い。大変だったろうなあと思うが、彼女のことだから同情なんてしたら怒るだろう。「時間をかけてゆっくりと、いい運動と思って階段を利用したわ」と言っているように思う。

部屋に「さようなら」をして、外にでた。アパートの道をまっすぐ行くと聖マティアス教会があり、その前のヴィンターフェルト広場は朝市で有名だそうだ。きょうは金曜日、朝市は土曜日とのこと。Tさんが「時間があったら来てみたら」「それでなくても地図やカメラや荷物が多いのに、朝市であれこれ買い込んでももてないわよ」と笑った。
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ベルリン映画祭の「天の茶助」プレス試写は15:30から。まだ時間があったので、
次に、、シェーネベルク市庁舎を訪ねた。1963年、暗殺される前年、西ベルリンを訪問したケネディ大統領は、この市庁舎の前で大観衆の前で演説をした。東西の壁を憂い、演説の終わりに、(自由な人間は、どんな場所にいようとも)Ich bin ein Berliner~私はベルリン市民だ、と締めくくったそうだ。
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市庁舎の前には日本でいうゆるキャラ?ベルリンのマスコットの熊さんがたっていて、お出迎えしてくれた。

Tさんと私、相変わらず(すみません)あわてんぼというか、ずうずうしいというか。ちょうど、強制収容所で殺された人々の写真と残した文章などの展示をしているという看板がでていたので、市庁舎の立派なドアをあけて、中に入った。
受付もそのまま通過(何も言われないかった)。展示場の案内にそって大きな会議室のようなドアを押すと開いて、中は写真と資料などがずらりと展示されていた。
ところが、電気も薄暗いし、誰もいない。私たち、電気のスイッチを押して部屋を明るくし「来るの早すぎたね」とか言ってみていたけど誰も入ってこない。なんか気持ち悪くなって別のドアから出たら事務室だったので、Tさんがもちろんドイツ語で「ここはやってないのですか」と聞いてくれた。
 先週で終わっていたのでした。だったらさっさと片付けて!とは言わない。でも、帰りにまた受付を通ったら、展示場へは入らないでくださいね、と言われてしまった。なんだ、知ってたのかあ。

それから私は、そろそろポツダム広場のプレス試写へ戻るので、Tさんにお礼をいってZoo駅で別れたのでした。





2015年03月14日

ベルリン再訪2/13(4)

ポツダム広場ちかくのフィルムセンターへ
ベルリン到着の翌日、ベルリン映画開催のポツダム広場のほかに、T子さんと、文子さんのゆかりの場所を尋ねた。

文子さんはベルリン在住の実験映画作家。ベルリン映画祭で短編映画が上映されたこともあり、また、チェゲバラのインタビューも撮影したといっていた。
バングラディシュ、フランス、アフリカ、ドイツなどの女性映画祭でも作品が上映され知る人ぞ知る人だが、アバンギャルドすぎて残念なことに日本ではほとんど知られていない。
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(左側の回転ドアが入口)

彼女が亡くなり、アパートに残された映画関係の本、撮影済みビデオおよび写真、資料が保管されているベルリンフィルム資料館を訪ねた。この建物は、日本の京橋にあるフィルムセンターのようなところだろう。

映画館、映画関係の書店、アーカイブ資料館、ミュージアムなどがガラス張りのビルに入っている。
(ドイツ語がよくわからないが、このガラス張りビル建物全体が映画博物館で、その中がいろいろにわかれているのかもしれません)
場所はCINEMAXのある路地の大通りを挟んで向かいで、ベルリン映画祭開催中は混雑していた。
6階の資料館に入り、ちょうど文子さんの「東西ベルリンの壁崩壊の写真」を選別していた職員の方とお会いした。「アパートから友人が運び込んだ荷物は段ボール12箱、入り口に山積みにされていたんですよ」と笑顔で話してくれた。
文子さんの長年の友人が、身寄りのない彼女に変わって、連絡を取り合い、主のいない部屋を何か月もかけて整理し、映画関係をまとめて、フィルムアーカイブへ運んでくれたのだ。
ゴミ収集車でひとまとめで運び捨て去ることもできたのにーー文子は本当に、いい友人に囲まれて、闘病していたのだなあ、とつくづく思った。

文子さんの住んだアパートへ
つぎに、文子の暮らしたアパートを訪ねた。場所はUバーン2のNollendorf駅からすぐ。
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(駅をでたところに花束が置かれた碑。この地域はゲイの人たちが多く、第二次世界大戦中、ナチスに捕まり、多くのゲイたちが処刑された場所。ベルリンには、このような戦争の足跡が街のいたるところにあり、戦争を忘れないようにしている。二度と間違いを繰り返さないためには忘れないことが大切だ)
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この駅から数分の通りに面したアパートの最上階に文子が住んでいた。
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(右から3つ目、ベージュのアパート最上階ー中庭はさんで反対側なので、ここでは見えませんーに文子がすんでいた)

驚いたことに、入り口の住民ボタンのところは、まだ「MATSUYAMA」の名前がついたまま。彼女は公営アパートに入居していたが、親族のOKでるまで国も市もアパートに入れないし、ましてや鍵をこじあけて、中のものを整理することはできないそうだ。、プライバシー厳守すごいですね。
数か月かけて神奈川に住むおかあさんの委任状がとれたので、やっと市から鍵をもらい、友人たちが中にはいり、室内を整理することができたそうです。





2015年03月11日

ベルリン再訪2015/2/13(3)

ベルリン国際映画祭へ
 
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      (2/14Award & Closing Ceremony 始まる前からスターを見ようと集まる人たち)

ぐっすり寝て、朝食をがつがつ食べ外出準備を終えて待っていたら、9時30分、Tさんが迎えにきてくださった。
2人でZoo駅前から200番バスにのりポツダム広場へ。
見えてきました2015年ベルリン国際映画祭の看板。
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     (上映映画館やカフェがある路地も映画祭一色、木々に星と大きな雪がふってくる動く電飾。これは薄暮
      に撮影。この金色の飾りが全部動いていると想像してね。きれいでしたよ)

まず、プレス事務所があるグランドハイアットホテルへ。
プレス配布の窓口にいた人に、メールをやりとりした人の名前を告げると、あちらの部屋へと教えてくれた。
プレス発行責任者が3名いる個室だ。
そこで、これまでやり取りしたメールをプリントしたのをみせると、すぐわかったらしく握手し、「文子がなくなって本当に残念」とおっしゃった。
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 (「天の茶助」プレス試写及び授賞式プレス用中継をしたしシネマコンプレックスのCINEMAXとチケット売り場)

映画祭は2月5日からスタートしてる。私が到着した12日は最終日2日前。
もう、一時の混雑は下火になり、多くの海外の記者たちは帰国してるようだ。
私は東京から持参したシネマジャーナルを渡し、文子さんの最後のベルリン映画祭レポートの記事を指し示すと、じっと見て「ありがとう」といて棚にしまった。

結局、見る日が2日だけなので、ワンディプレスを2日間許可してくれた。
また、メールでいっていたデポジットとして60ユーロはいらないという。
明日の受賞式は夜遅くなるので、事務局の職員は先に帰ることになるので、プレスカードはホテルの受付に預けていただけばいいですよ、と封筒までくれた。


コンペティション作品
『天の茶助』プレス試写を観る
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(外の大型スクリーンでは最終日にお披露目した「天の茶助」関係者記者会見の様子がうつされていた。)

プレスの責任者は、「今日、プレスカードで日本の「天の茶助」が見れますよ」と、時間と劇場を書いてくれた。
午後3時半からはじまった試写。後で書く、文子の生前住んでいたアパートへ行ってから、戻ってしっかり観ました。

CINEMAXシアター3の会場は満席。なぜ?つまり、明日にも賞が発表される映画祭の終わり近くに、コンペティション作品のプレス試写(プレスカードがあれば、フリーパスで観ることができる)はほとんどないからでしょうか。明日結果発表ですよ!今頃、審査員は最後の選定に入っているときに、プレス試写?賞をすててるのでしょうか。映画評は、日本での公開はこれからなので、のちほど。

事務局の女性が、授賞式についても教えてくれた。「明日の受賞式は会場でも見れるし、映画館でプレス用に中継し、英語訳をつけますが、どちらがいいですか」
私は撮影や観光に着るカジュアルなものしか持ってきてないし、英語訳が付いてた方がいいので映画館でみることにした。後で考えたら、なにも私が受賞するのでないから、ふつうの服でよかったんですわ。自意識過剰かしら。




2015年03月02日

ベルリン再訪2015/2/12(2)

荷物が自分のだとわかり、初対面の彼女に、大騒ぎさせて、なんと謝ったらいいか。
自分の鞄を間違えられたって、被害妄想、判断力低下、自分でも怖くなるくらいの間違いだ。でも彼女は、「よかったじゃない、ほらカバンはそばにあるわよ」と、大笑いしただけで、受け流してくれた。
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(Hotel & Pension Columbus 1泊個室朝食、税込50ユーロ バスルームは共有、かち合うことはなかったです)

バスがバス停に止まらない!
空港内で7日間バス電車乗り放題チケットを買う。29ユーロ。
空港をでたところにある市内へのバス乗り場へ急ぐ。
宿はZoo駅(ツォー駅)のそばなので、9番か109番。109番が宿に一番近いので、それに乗ることに。
バスは何台もきたが、9番や別の番号、で、やっと109番が見えてきてほっとしたら、10メートルほど前のバス停にとまった。
私たちのまわりで待っている人たちがそちらに走った。
でもTさんは「あそこは降りる人だけ、乗るのはここからよ」と説明してくれた。
10メートル先で全員のったらこちらにバスがやってきた。
で、Tさんが手を振ったが、運転手はこちらを見もしないで、素通りしていってしまった。
「なによ、ひどいわ、バス会社に電話してみようか!」とTさんは怒り出す。

また109番がやってきた。
でも10メートル先でまた止まった。人々が走り出す。
私も「あっちへ行きましょうか」とTさんに行ってみたが、バス停はここだからと動かない。
「大丈夫今度はとまるわよ」
でもバスは素通りしてしまい、私たち二人だけが残った。

いささか不安になったのか、Tさんが10メートル先へ見に行ってくれた。
そうしたら、そこに109番とかいた看板が立っていたのだ。
すぐにそちらに移動してバスを待った。
なんでも、前は私たちが待っていた場所で乗り降りをしていたが、最近、このバス停ができたらしい。
彼女はあまり空港へは来ないので、それを知らなかったとのこと。
確かに、私は日ごろは羽田や成田にいかないから、バス停の移動までわからないと思う。

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やっときたバスにのると、中はあたたかかったあ。
それからZoo駅の1つ前、クーダムの一角のバス停でおりて、歩いて宿のコロンブスに入った。
宿への目印はこのお店
一年中クリスマス製品を売ってるんです。
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             (外から中へ入ったところ、右にエレベータ。自分でドアを開けて入る)

暖かい個室、トイレ、洗面所付き、廊下を少しいったところに共同シャワー。これで1泊35ユーロ。
それに朝食と税金をいれても50ユーロ。優しくフレンドリーで英語も話すおかみさん、
室内wifiあり。安いと思いませんか。
Tさんが体操教室に通っていて、おかみさんがそこの仲間だそうだ。
ここはご主人の家(ホテルの一角に住まいがある)で、ここクーダムでホテル&ペンションを創業して3代目、建物は築200年を超えるアールヌーヴォ調アパートの3階。
デザイナーズホテルのような新しさはないけど、まったりと、落ち着いて、しかも静か、調度品も上品で、これぞヨーロッパの味かもしれません。