2015年02月
2015年02月26日
ベルリン再訪2015/2/12(1)
(写真2枚 ベルリンへの乗り継ぎヘルシンキ空港、すごく乗り継ぎしやすいと思った)
ベルリン再訪しました。
「みんな生きている 飼い主のいない猫と暮らして」の撮影でお世話になったベルリンのボランティアや、
時間があればティアハイム・ベルリンへもう一度いってみようと思った。
もう一つ、こちらがメインなのだが、撮影に際し、通訳やドイツ語インタビュー翻訳を担当してくださったベルリン在住の松山文子さんが、昨年4月15日にお亡くなりになり、日本在住のお母さまと連絡をとったり、彼女のベルリンのアパートの荷物をどうするかなど、お手伝いした関係で、彼女のドイツでの友人たちにあって、誰もしらない彼女のドイツの暮らしを偲ぶ目的もあった。
また、ちょうど2/2-15までベルリン国際映画祭が開催中なので、最後の2日、映画祭に参加しようと、あらかじめ事務局へ連絡をいれておいた。
実は、彼女は毎年、私が仲間とやっているシネマジャーナルにこの映画祭のレポートを10年近く書いてくださっていた。私は彼女の取材プレカードをとるために、映画祭事務局あてに毎年文書を送っていた関係で、彼女がなくなって、もうレポートを載せられない旨もお知らせしたかったのだ。
今回のフライトは、往路:成田ーヘルシンキ国際空港ーベルリンテーゲル国際空港、復路:ベルリンテーゲルーパリシャルルドゴールー羽田、のコースだ。ヘルシンキ空港は初めてなので、うまく乗り継ぎできるか不安でいろいろ調べると、ここは乗り継ぎに特化した空港で、フロアーはひとつ、うまくいけば15分くらいで、次の乗り継ぎゲート前までいけるらしいことがわかった!
事実、そのくらいで、行くことができたので、あとは空港内を見て歩いたり、手持ち荷物の整理をしたりしてあっという間に2時間の乗り継ぎ時間がすぎて、フィンエアー(Jalシェア便)にのった。
ベルリンに到着しましたが、荷物がない!
無事、18:30ぐらいにベルリンテーゲルに到着。あらかじめ連絡をとりあっていた文子さんの友人、Tが出口で待っていた。初対面になるが、アジア女性なのですぐにわかった。
早く挨拶しなければ!でも、私の旅行鞄が出てこない。最後に一つ、似たような黒い鞄がぐるぐる回っているが、あれは私のではない。柄が違う、横に取っ手などついてないないはずだ。似てるけど違う!間違えられた!リボンでもつけておけばよかった!どうしよう、どうしよう。
Tさんのところに走り寄り、鞄がないこと、誰かが間違えたこと、どうしたらいいかを訴えた。
「あなた、大変よ!」挨拶もそこそこに、その鞄をつかむと、そばの係員にドイツ語でぺらぺら。
「5番へいけっていってるわ。間違えた人、家に帰ったら、なかなかもどらないわよ、もう、そそっかしい人がいるんだから」
黒い鞄をひいて5番窓口まで走る。
息もたえだえに窓口にたどり着き、若い男女のドイツ人に彼女がドイツ語で説明してくれた。
ぽかんと聞いていた青年の方が、カウンターから「どれどれ」という感じで出てきて黒い鞄を点検。
私に名前を聞いた
「I'’m Etsuko Shibata!」
青年はおもむろにヒラヒラと黒い鞄についていた荷物預かり票をチェック。裏返して眉をひそめ「Etsu Shibata?って書いてあるよ」ですって!
自分の鞄だったのだ。
私は極度に緊張していたのだろうか。
なんで自分のじゃない!と勘違いしたのか。認知症のはじまりか。
自分のやることに自信がもてない、こんなんで1週間の滞在をのりきれるだろうか
このまま日本に逃げ帰りたくなった。(つづく)
totoebi01 at 13:10|Permalink│みんな生きている飼い主のいない猫