2013年04月
2013年04月28日
仙台市、多賀城市の猫ロケ
多賀城復興横丁 わいわい祭へいってきました。

仙台港の近く、住宅地の空地で地域の人が集まり、出店や犬猫ボランティアの「バトンタッチ」さん主催の犬猫譲渡会、舞台では少女たちのダンスやマジックなど、にぎやかな復興祭を撮影してきました。
その前に仙台市の猫ボランティアさん宅(家に20匹~30匹 全部もと野良さん)を取材。
家の戸を開け放っていて、猫たちが家と庭を出入り、庭から外にでないのが不思議。
とにかく猫族の命をつないでいるのは、大きなNPOなどの組織から、このように任意で犬猫を救おうと集まったボランティアさんグループたちみんなの力だなあと改めて思った。
わいわい祭の犬猫譲渡会の犬たちは、バトンタッチ代表の女性が毎日保健所サイトをチェックし、犬をみつけてはもらいうけたワンちゃんたち。里親成立がなかったらご自宅に引き取るーーそのまま保健所においておいたら殺処分だそうだ。
その前に仙台市の猫ボランティアさん宅(家に20匹~30匹 全部もと野良さん)を取材。
家の戸を開け放っていて、猫たちが家と庭を出入り、庭から外にでないのが不思議。
とにかく猫族の命をつないでいるのは、大きなNPOなどの組織から、このように任意で犬猫を救おうと集まったボランティアさんグループたちみんなの力だなあと改めて思った。
わいわい祭の犬猫譲渡会の犬たちは、バトンタッチ代表の女性が毎日保健所サイトをチェックし、犬をみつけてはもらいうけたワンちゃんたち。里親成立がなかったらご自宅に引き取るーーそのまま保健所においておいたら殺処分だそうだ。
東京ではあまり野良犬をみかけなくなったが、地方では猟をするために連れてきて、期間が終わると山に捨てていく不届きな人たち大勢いて、野良犬たちが増えているという。
猫は4匹で、2ケ月の子猫2匹は決定。風が冷たいので、すぐに預かってるお家に戻した。
石巻から来たエイズ(発症はしていない)の成猫ちゃんも里親が決定した。

帰り、祭にきていた方が蒲生干潟の道を車で案内してくれることになり、ボランティアさんの車で後について
いった。
震災前、宮城県の石巻には「エクレールお菓子放浪記」の撮影で滞在したが、震災後は初めて。
津波映像が海外に流れた最初がこの地区だったらしい。
海に近づくにつれて何もない平地ーーー。
墓や慰霊碑、十字架などが立っていてた。
海と海に続く川の2方向から津波が襲ってきたそうだ。
見渡す限り平地、どんなに逃げても津波に追いつかれてしまうだろう。
totoebi01 at 09:47|Permalink│みんな生きている飼い主のいない猫
2013年04月11日
庭の花、がんばってます
今年は、咲かなかった花の開花が多い。なぜだろう。

これ、桜が咲く前から咲いていて、いまだにのこってる花蘇芳(はなずおう)
カメラのアップの撮り方がやっとわかったので、いろいろやってみました。

蛍葛(ほたるかずら) いただいたときは一握りだったのに、いまは、花壇の半分まで広がった。

もう半分がこれ、オキザリスのピンク。毎年1つか2つしか咲かないのに、今回はまだまだ蕾あり。
花壇の下にこぼれたのも咲いている。

こちらも。窓の下。例年は1つか2つなのに、こんなにーー。

ただ、ハナミズキだけは10年になるのに、今年も10こ以下の花。
映画『ハナミズキ』ではこぼれそうに咲き乱れていたぞ、あっちが嘘なのかーー。

最近、シマねんさんと黒ちゃん、急接近
2013年04月04日
「愛しのティツィア」上映会
朝から雨と風。「愛しのティツィア」追加上映会の日。お客様が少なかったらーーと思い、午後2時なかのzero視聴覚ホールへ行きました。

チラシ。追加上映になったためベルスマご夫妻が急遽日にちを修正
チラシデザインはご夫妻の娘さん(ベルギーでデザインの仕事をされている)
自分達で作ったドキュメンタリー映画があるが、どこかで上映できないだろうか、とベルスマ夫妻から相談されて、シネマジャーナルの中野グループで登録してあるなかのZERO視聴覚ホールをお世話した。
本来2011年4月29日に上映会予定だったが、3月11日に大地震発生した。ホールの一部が損傷し、また、ベルギーからの渡航がいろいろ難しかったことで、やむなく延期ーーそして、2年越しでやっと実現したわけである。
一度観ていたのですが、お客様が少なかったら、と思い、会場に入ると、満席に近い状態だった。
映画は鎖国時代の日本、唯一外国との交流が認められていた長崎出島の商館長とその妻ティッツィアに起きた悲しい出来事を、子孫のベルスマ夫妻が10年近く、歴史を辿ってドキュメンタリー映画にしたもの。
その頃、出島に女性が出入りすることは禁じられ、唯一、お茶くみとして許されたのは遊女であった。わざわざオランダーバタビアを経由し、長い航海を経て夫とともに暮らすために日本にやってきたティツィアは、時の幕府による女人禁制の規則のために拒否され、オランダに返され、翌年亡くなったーー。

上映後、会場の質問に答えるステキなご夫妻、奥様はJapaneseです
原作本は何カ国語にも訳されて、ヨーロッパ各国で出版されている
オランダでは4回この作品がテレビ放映され、日本に来る前にもテレビドキュメントの取材を受けたとのこと

上映後のサイン会も盛況でした
私自身、ニューヨークで自作の上映会をしたとき、自分流にいろいろアタックしても実現できず、最終的に会場探しから司会まで、ニューヨーク在住で映画製作や大学で映画を教えていらっしゃるタハラレイコさんが引き受けてくださり、とても嬉しかった経験があります。なので、海外在住の方が日本で上映場所を探しているときは、出来る限り協力しようと思っていました。ご夫妻がとても喜んでくださってよかった、と思った次第です。もっと、日本の各地で上映できたらいいなあ。