2010年12月

2010年12月08日

群馬県高崎郷土史会上映会のご感想

高崎郷土史会は、昨年の11月に続き、本年も文化講演会で本作品を上映してくださった。原口鶴子さんは群馬県富岡市で生まれ、高崎女子高等学校卒業生(第一回生)。また、日本女子大学で鶴子さんに心理学という新しい学問があることを教えた若き心理学者、松本亦太郎(のちの東大教授、日本心理学会創設者)が高崎市出身であるという歴史のつながりから、この映画に注目してくださったと思う。
上映会から時がたってしまいましたが、会場にいらした高崎の皆様のご感想の一部を紹介させていただきます。。

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この映画は3回目の拝見ですが、度毎に感銘を受けるところが発見できます。今回は亡くなるとき、誠に、真正面に受け止め、旅立ったことは、学者、科学者として精神を鍛錬されていたのかと思われました。歴史の大きな流れの中の一人の人生とのつながりを述べられた最後のナレーションに感じ入りました。

素晴らしい映画と講演、本当にありがとうございました。大変感動しました!(高女)同窓会等でもぜひ取り上げていただけたらと思いました。講演も大変興味深く聞かせていただきました。

高崎映画祭で見逃した映画、本日実現しました、ありがとうございました。心理学を少し学んだ者ですが、彼女の存在は初めて知りました。ソーンダイクはデューイ、ビネーの活躍していた時代に同じ米大陸で研究していた彼女。素晴らしいです、ありがとうございました。

NHKラジオ深夜便で泉悦子氏が原口鶴子について語っていたので興味を持ちました。素晴らしい内容でした。もっと原口鶴子が日本中に名前が知れ渡るといいと思います。

泉さんのお話をうかがえる機会がありましたらご連絡いただけるとありがたいです。

今回、初めて原口鶴子さんの足跡を知り、大変勉強になりました。私自身、臨床心理士をめざしているものとして、同じ故郷に「松本亦太郎さん」そして「原口鶴子さん」がいらっしゃったことは、大変嬉しく思いますし、私も見習って頑張っていきたいと思います。

大変有意義な講演会でした。素晴らしい群馬の先輩女性を知ることができ、自分のワクを取り払って、現在の自分を見直したいと思いました。

群馬県に、この富岡に明治のはじめにこのような向学に燃えてアメリカに留学して博士号を得た女性がいたことに大変感動しました。私は教育TV(筆者 NHKラジオでは?)で泉悦子監督の話を聞き是非映画を観たいと思っていました。今日の映画を楽しみにしておりました。感動してみました。明治時代にこのように自主的に能力を追求していきた女性が、この高崎女子高校にいたことを誇りに思います。

あまりにも若く夭折した原口鶴子女史は残念ながら、恥ずかしながら知りませんでした。15年前にニューヨークにたった2日間ですが滞在した時歩いた風景が懐かしく思いました。才色兼備の女史が単身コロンビア大学院で心理学博士号を受け、当時では考えられない状況の中で心身ともに負担が大きかったことが後に急激に健康を害した原因でしょう。短期間の良き伴侶、道の友と知り合い、子をなし、その娘の家族が受け継いできたことが、映画の最後でわかり、安らぎを覚えました。言葉整いませんが、群馬の誇りで是非一般の人にも映画を見て欲しいです。原口女史の著作を読みます。高階先生のお話はいつも心の琴線に触れるものです。次回も楽しみにしています。


2010年12月03日

同窓生の皆様の上映会/世田谷

日本女子大学桜楓会世田谷3支部共同上映会が11月23日、成城ホールの会議室で開催された。準備はなんと一年近く前から。映画を上映するのは初めてとのことで、上映会開催の手順、チラシや広報の仕方、DVD上映に際してのご注意など、いろいろお教えした。関連本、本作品DVDもご好意で受付に置いていただいたが、なんとどちらも完売。同窓の大先輩の活躍に、感銘を受けたとの感想が多く寄せられているそうだ。

製作して3年、劇場公開も果たし、念願のニューヨーク上映会も実現して一段落しDVDを作ったが(何度も書いていますが、自分にとっては一大仕事でした)、嬉しいことに多くの大学からご注文をいただいている。多くのといっても一般的なDVD作品がどのくらい売れるのか知らないが、私の場合は最初に作った自主製作作品と比較してという意味で、商売的にみたら少ないのかもしれないが。

一番多いのは、心理学の研究室、大学附属図書館からのご注文。
ほかには男女共同参画を進める地方自治体のセンターの資料室や図書館、英会話や留学のグループ…さまざまです。
それにしても、そのご注文のほとんどがホームページを見てDVD化を知ったという方で、時代が変わったなあと思う。ほんの一昔前だと、自主製作作品を作ってDVD化しても、その販路は配給会社にお預けして売っていただくしかなかった。それには宣伝費、委託費などもろもろあって、到底、貧乏製作者には頼むことすらで出来なかった。それがいまは、やろうとおもえば、アマゾンにも個人で預けられるし、こうして、自分でホームページを作ったら、それをみてご注文いただく時代になったのだ。しかも日本全国、海外からも。それだけ、やりがいがあるというものだ。