2009年06月
2009年06月29日
6/27栃木県足利市での上映会
足利市の男女共同参画事業の一つとして開催された上映会が終了しました。上映前に若いステキな市長さんの挨拶、写真展、作文の入賞者授賞式が行われ、小学生から高校生、主婦、高齢の方まで舞台に上がって表彰を受けました。250名の会場が市民の皆様で埋まる中、引き続き本作品が上映され、鶴子さんと彼女を支えた周りの人々の学問への熱い思いに共感をもっていただきました。
嬉しいことに梅雨の中休みというか、清清しい晴天でした。前日夕方に足利市に来て、担当の方と上映チェック。その足で渡良瀬川が一望できるホテルのレストランで夕食を取りました。川にはいくつか橋がかかっていましたが、その一つが森高千里さんの歌に出てくる「渡良瀬橋」でした。渡良瀬といえば、私が生まれる数年前、母と姉二人、兄一人が度重なる東京空襲を避けて疎開し、終戦を迎えた場所です。母や姉からは川で遊び、皆なで山へまき拾いに行ったことや、着物や石鹸が貴重で、それらのものと食べ物を交換してもらったことなど聞いていました。話のとおり、川とその向こうに幾重にも連なる山々は、薄暮の中、とても美しい姿をみせてくれました。早朝、部屋の窓から眺めた川のきらきらと、うっすら見えてきた山並も最高。1年足らすとはいえ、母は3人の子どもの手を引き、どのような気持ちで山を歩いたのかちょっと考えました。
当日は、朝9時から続々とお客さまが集まりました。9時30分、式典の開始。久しぶりの上映会できちんと皆様にお話ができるか、とても心配でしたが昼過ぎには無事終了。「楽しき思い出」にサインをしながらお客さまといろいろお話しました。その中に、津田塾大学で國枝マリ先生(インタビュー出演している)と同級の方や、記事を書いてくださった上毛新聞の記者(早稲田の後輩とのこと)、高崎から郷土史を研究するグループの事務局の方がみえており、郷土史グループの方からは11月に上映会をしたいとのお話をいただきました。
やはり、直接お客さまとお話するのは楽しいし励みになります。6ヶ月の準備をされて上映会を開催してくださった足利市と足利市女性団体連絡協議会の皆様、また会場にいらしてくださった市民の皆様、楽しい時間をありがとうございました。
2009年06月18日
劇映画のシナリオ
今年の初めから、自分の作品の上映活動のかたわら、劇映画のシナリオを頼まれて書いていました。それが昨日、製本されて手元に!嬉しい!記念すべき長編劇映画シナリオライターとして最初の作品です。若いライターとの共同執筆でしたが、登場人物の性格やハイライト部分の盛り上げ方など、監督、制作委員会の皆様と検討をかさね、ライター同士お互い補足しあってうまくいったと思います。とても貴重な経験でした。
本作品の詳細はまだまだ先の正式発表までできません。それにこういう時世なので最後まで慎重にすすめないといけないのですが、シナリオを渡した今、早く、完成したのをみてみたい。きっと自分が監督したのとは別な感動が湧いてくると思います。
結婚していた頃、子育ての空いた時間に劇映画のシナリオ学校へ通っていました。そのおかげで自分のPR,教育映像作品はほとんど自分で台本を書くことができました。
いつか長編映画のシナリオ1本書けたら最高、と夢見ていたことが実現しそうなんです。しかも素晴らしい信頼できる監督がメガホンをとるのできっと感動作になると思います。次は、自分で長編劇映画の監督へ…と夢は広がりますが、まずは、この作品にGOが出たら、出来るだけ撮影現場へいって、監督の動きを見てみたい。これまで自分が作った作品のスタッフは多くて10名くらい(劇形式教育映画)、普通は1名~4名くらいの小クルーがほとんど。劇映画となるとその倍ものスタッフが現場で作業。最終的に監督が彼らを把握して動いてもらうわけです。役者さんやエキストラさんが加わったらすごい数になりそう…考えただけでもどきどきしてきます。そうしながら自分の企画もすすめることができたらいいなあ。シナリオライターの仕事をいただけたのも実はこの映画をつくったことがきっかけなのです。
そうそう、これから今月27日(土)足利市上映会リリースを足利市のマスコミ関係者に送らないと。足利市民ホールでの上映会は朝早いので、前日から足利市に泊まって、上映チェックと担当者の皆様と顔合わせをします。とても楽しみです。お近くの皆様はぜひ観に来てくださいね。
本作品の詳細はまだまだ先の正式発表までできません。それにこういう時世なので最後まで慎重にすすめないといけないのですが、シナリオを渡した今、早く、完成したのをみてみたい。きっと自分が監督したのとは別な感動が湧いてくると思います。
結婚していた頃、子育ての空いた時間に劇映画のシナリオ学校へ通っていました。そのおかげで自分のPR,教育映像作品はほとんど自分で台本を書くことができました。
いつか長編映画のシナリオ1本書けたら最高、と夢見ていたことが実現しそうなんです。しかも素晴らしい信頼できる監督がメガホンをとるのできっと感動作になると思います。次は、自分で長編劇映画の監督へ…と夢は広がりますが、まずは、この作品にGOが出たら、出来るだけ撮影現場へいって、監督の動きを見てみたい。これまで自分が作った作品のスタッフは多くて10名くらい(劇形式教育映画)、普通は1名~4名くらいの小クルーがほとんど。劇映画となるとその倍ものスタッフが現場で作業。最終的に監督が彼らを把握して動いてもらうわけです。役者さんやエキストラさんが加わったらすごい数になりそう…考えただけでもどきどきしてきます。そうしながら自分の企画もすすめることができたらいいなあ。シナリオライターの仕事をいただけたのも実はこの映画をつくったことがきっかけなのです。
そうそう、これから今月27日(土)足利市上映会リリースを足利市のマスコミ関係者に送らないと。足利市民ホールでの上映会は朝早いので、前日から足利市に泊まって、上映チェックと担当者の皆様と顔合わせをします。とても楽しみです。お近くの皆様はぜひ観に来てくださいね。
2009年06月15日
「楽しき思い出」が教材
映画の劇場公開が一段落したので、次回作のための資料調べ(具体的にはまだ決まってません)や、仕事部屋に積まれた感想、問合せのお手紙を整理している。
鶴子さんの留学記「楽しき思い出」のファックス、メールの注文書や注文書に添えられたお手紙も読み返しています。映画は本当にたくさんのお客様にみていただき(今月27日には足利市で上映会があります!)ましたが、この本も思いもかけずたくさんの方々が読んでくださいました。。
昨年6月、名古屋大学の女性研究者支援研究所と男女共同参画室が共催で開いてくださった上映会の分厚い報告書が送られてきました。懐かしい、もう1年前になるのかあ。ちょうど、日経新聞に記事が出た後でしたので、お客さまが急増し、名古屋大学での2度の上映、翌日の京都市男女共同参画センターの上映会は満員御礼。その場ではあまりゆっくり皆さんと話す時間がなかったのですが、こうして、上映会を開いてくださったところから立派な報告書が届くと嬉しいです。私の話したこともしっかり収録されていて、語彙が少ない私としてはちょっと冷や汗です。ぜひ、このブログにも紹介していきたいと思います。報告書は日本女子大、東京学芸大、早稲田大、男女共同参画センターの主催者様からもいただいております。ありがとうございました。
また、伊丹市での上映会にいらした英語グループの方々から昨日「楽しき思い出」追加注文を頂きました。会場で日本語と英語抄訳あわせて20冊ほど買っていただき、さらに10冊以上の追加です。お聞きしましたら、英会話の勉強に「楽しき思い出」をお使いで、アメリカ人女性の先生が、英語抄訳を読んで、自分も知らなかった100年前の米女性の大学生活がとても詳しく書いてあって興味深いとおっしゃり、皆で楽しく学習してるそうです。
日本女子大学の心理学科のゼミでこの本が課題図書となり、ゼミの皆さん全員が購入してくださったことを思い出しました。このように、活用していただけてとてもありがたいです。一字一字オリジナルを書き起こして自費出版された鶴子さんのご家族の皆様もお喜びだと思います
先ほども書きましたが、6月27日、足利市民ホールで9:30から開会式、10:00開始の上映会があり、私もうかがってお話いたします。県外からも何人かいらっしゃるそうでご連絡いただいております。神戸のショックからも立ち直りましたので、またよろしくお願いいたします。
鶴子さんの留学記「楽しき思い出」のファックス、メールの注文書や注文書に添えられたお手紙も読み返しています。映画は本当にたくさんのお客様にみていただき(今月27日には足利市で上映会があります!)ましたが、この本も思いもかけずたくさんの方々が読んでくださいました。。
昨年6月、名古屋大学の女性研究者支援研究所と男女共同参画室が共催で開いてくださった上映会の分厚い報告書が送られてきました。懐かしい、もう1年前になるのかあ。ちょうど、日経新聞に記事が出た後でしたので、お客さまが急増し、名古屋大学での2度の上映、翌日の京都市男女共同参画センターの上映会は満員御礼。その場ではあまりゆっくり皆さんと話す時間がなかったのですが、こうして、上映会を開いてくださったところから立派な報告書が届くと嬉しいです。私の話したこともしっかり収録されていて、語彙が少ない私としてはちょっと冷や汗です。ぜひ、このブログにも紹介していきたいと思います。報告書は日本女子大、東京学芸大、早稲田大、男女共同参画センターの主催者様からもいただいております。ありがとうございました。
また、伊丹市での上映会にいらした英語グループの方々から昨日「楽しき思い出」追加注文を頂きました。会場で日本語と英語抄訳あわせて20冊ほど買っていただき、さらに10冊以上の追加です。お聞きしましたら、英会話の勉強に「楽しき思い出」をお使いで、アメリカ人女性の先生が、英語抄訳を読んで、自分も知らなかった100年前の米女性の大学生活がとても詳しく書いてあって興味深いとおっしゃり、皆で楽しく学習してるそうです。
日本女子大学の心理学科のゼミでこの本が課題図書となり、ゼミの皆さん全員が購入してくださったことを思い出しました。このように、活用していただけてとてもありがたいです。一字一字オリジナルを書き起こして自費出版された鶴子さんのご家族の皆様もお喜びだと思います
先ほども書きましたが、6月27日、足利市民ホールで9:30から開会式、10:00開始の上映会があり、私もうかがってお話いたします。県外からも何人かいらっしゃるそうでご連絡いただいております。神戸のショックからも立ち直りましたので、またよろしくお願いいたします。
2009年06月08日
女子聖学院での上映
6月6日、中学高校の母校、女子聖学院で上映会が行われた。
1年に1度の卒業生総会での上映だった。総会のあとに上映会をしたので、出席の方々が例年より多く、役員の方々は喜んでおられた。会長さんが、「音楽関係や芸術関係に進まれ活躍中の卒業生はたくさんいらっしゃいますが、映画監督になったのは泉さんが初めてです」と紹介してくださった。1905年創立以来、私、ひとり???ますますこれからもいい映画を作っていかねばならない!と考えた次第です。
1966年卒業し、大学時代に一度、所属していたバスケット部OG会で行ったっきり。なのでおよそ40年ぶりの再訪だった。校舎もチャペルも思い出深い体育館も建て替えられていて、面影はなかったんですが、「桜よ、楓よ、銀杏よ」と校歌にもあるように庭の大きな樹木類はちゃんと残してくださっていたので、木々を観て、思い出が甦ってきました。
会場はクローソンホールという創立者の名前のついた150名ほど収容できるホール。技術室が備えてあり、礼拝ができ、上からスクリーンも自動で下りてくる。ロビーをはさんで記念館があり、私たちが毎日座った礼拝堂の木の椅子や、なつかしい階段の一部も保存されていました。ホールとは別に階段式の客席とパイプオルガンを備えたチャペルがあり本当に素晴らしい環境に驚きました。
女子聖学院の創立者、米国人のバーサ・クローソン婦人は、1898年にプロテスタントの宣教師として来日し、築地の居留地に1905年、学院を創設。最初は教師3名、生徒10名からの出発だったそうだ。前回の日誌に紹介した鶴子さんがお姉さんに送った米国YWCAの集会写真(1909年)にはたくさんのキリスト教関係の米国女性たちが写っていました。ちょうど時代が同じこともあり、クローソン婦人も写真の中の女性たちのようにキリスト教伝道に燃えた先進的女性だったのだろうと思いめぐらしました。それにしても宣教のために異国を訪れ、ゼロからいろいろなことをはじめる勇気は尊敬に値するものです。
自分の歩いてきた道に再び戻ってこれたのもこの映画を作ったおかげです。原口鶴子さん、ありがとうございました。また学院の先生方、翠耀会の皆様、本当にありがとうございました。
1年に1度の卒業生総会での上映だった。総会のあとに上映会をしたので、出席の方々が例年より多く、役員の方々は喜んでおられた。会長さんが、「音楽関係や芸術関係に進まれ活躍中の卒業生はたくさんいらっしゃいますが、映画監督になったのは泉さんが初めてです」と紹介してくださった。1905年創立以来、私、ひとり???ますますこれからもいい映画を作っていかねばならない!と考えた次第です。
1966年卒業し、大学時代に一度、所属していたバスケット部OG会で行ったっきり。なのでおよそ40年ぶりの再訪だった。校舎もチャペルも思い出深い体育館も建て替えられていて、面影はなかったんですが、「桜よ、楓よ、銀杏よ」と校歌にもあるように庭の大きな樹木類はちゃんと残してくださっていたので、木々を観て、思い出が甦ってきました。
会場はクローソンホールという創立者の名前のついた150名ほど収容できるホール。技術室が備えてあり、礼拝ができ、上からスクリーンも自動で下りてくる。ロビーをはさんで記念館があり、私たちが毎日座った礼拝堂の木の椅子や、なつかしい階段の一部も保存されていました。ホールとは別に階段式の客席とパイプオルガンを備えたチャペルがあり本当に素晴らしい環境に驚きました。
女子聖学院の創立者、米国人のバーサ・クローソン婦人は、1898年にプロテスタントの宣教師として来日し、築地の居留地に1905年、学院を創設。最初は教師3名、生徒10名からの出発だったそうだ。前回の日誌に紹介した鶴子さんがお姉さんに送った米国YWCAの集会写真(1909年)にはたくさんのキリスト教関係の米国女性たちが写っていました。ちょうど時代が同じこともあり、クローソン婦人も写真の中の女性たちのようにキリスト教伝道に燃えた先進的女性だったのだろうと思いめぐらしました。それにしても宣教のために異国を訪れ、ゼロからいろいろなことをはじめる勇気は尊敬に値するものです。
自分の歩いてきた道に再び戻ってこれたのもこの映画を作ったおかげです。原口鶴子さん、ありがとうございました。また学院の先生方、翠耀会の皆様、本当にありがとうございました。