2009年03月

2009年03月27日

3月は劇場公開や上映会が続きます

京都シネマの上映が20日終了し、多くのお客様がいらしてくださった。
福井、滋賀県など、京都府以外からのお客様も。
私は朝一番の新幹線で京都へかけつけ初日、2日目に舞台挨拶をし、ラジオ深夜便のお客様とお会いしたり、映画のお友達の家を訪問したり…京都を満喫してもどりました。
土日も平日も変わりなくコンスタントに席が埋まったようでほっとしました。


そして札幌の蠍座(さそりざ)は24日から絶賛公開中!。
ラジオ深夜便のお問合せに「北海道ではしませんか」というのが何件かあり、住所をお聞きした方には急遽お知らせしたり、関係機関など出来る限り資料をお送りした。
1日2回で4月6日まで2週間やってくださる。
何とかたくさんのお客様がきてくださいますように…。


24日、鶴子さんの母校日本女子大学成瀬記念講堂で上映会。
講堂は1906年に完成。1906年卒業の鶴子さんら第三回生は、最初に卒業式をあげた学年。
講堂の新しいシルクスクリーンにくっきりと学生時代の鶴子さん、完成当時の講堂や成瀬校長が甦ったときは感無量でした。

4月6,7日は鶴子さんの故郷、群馬県で行われる高崎映画祭での上映、そのあと5月の神戸アートビレッジセンターでの公開が済むとなんとなく劇場公開も一区切りがつくのでないかと思っている。


2009年03月09日

伊丹市立女性・児童センター上映会報告

イメージ 1

伊丹市立女性・児童センターの、いたみミモザの日<国際女性デー>の催しとして、本作品の上映会がありました。たくさんのお客様がみえ、一回目は立ち見状態の中の上映でした。

上映は11時、1時の回があり、11時の回は東京から駆けつけるには何かアクシデントがあった場合遅刻しそうでしたので、1時の回のみ参加し、上映後にお話させていただくことにしました。

東京から伊丹へは新幹線と在来線JRを利用。
伊丹駅といえば、1995年の阪神淡路大震災後、東京消防庁の防災ビデオのため、傾いた駅舎を撮影。2002年には、虫プロダクションのお仕事で、伊丹に旱害用水池(現在は昆陽池)を作った行基と言う偉いお坊さんの伝記の撮影に来たことがありました。

センターはタクシーで10分ほどで、広い運動場と女性サロン、児童会館が併設されている小学校のような施設でした。
映画上映会ははじめて。スタッフの皆様は大変だったと思います。
お教室に椅子を並べ、窓を厚いカーテンで覆い、懐かしい小学校の学芸会のような雰囲気の中で始まりました。

1回目のお客様にご挨拶できなかったのは残念です。男性が多かったとお聞きしました。
2回目は「ラジオ深夜便」リスナーのお客様たち何人ともお話しました。
1月の放送を聞いて以来楽しみにしていた方や、会場をあちらこちら調べてやっとわかったという方など、この映画への興味の高さにまた驚きました。

上映後、活発に質問、感想が飛び交い、どの上映会でもそうですが、「このような素晴らしい女性をどのように見つけたか」というご質問が多くよせられました。

私は植物に疎くて、今回ミモザの花をはじめて見ました。黄色い可憐な花をたくさんつけ、葉はモミの木のように眠ります。会場に活けてあり、私にも、ミモザの花の花束をくださいました。

帰りの新幹線で、花束をみたイタリア人数人をつれた日本人の方から「ミモザですね。女性の日は明日でないですか?」と話しかけられました。「いま伊丹の国際女性デーと言うイベントの帰りです」とお答えすると、「私たちは明日です」と言い、京都でおりていきました。
国際女性デーのシンボルマークなのでしょうか。

キューリのようなほのかな匂いが漂い気持ちがいいですよ。
家に着き、すぐに水にいけましたが、葉が閉じたままでこのまま枯れるのでないか少し心配。
どうしたのかなあ…


写真説明:上映会場 下中央は司会の伊丹国際文化交流会副会長さん 黄色い花がミモザの花

2009年03月01日

高崎市、富岡市へ行ってきました

第23回高崎映画祭に参加がきまり、そのご報告と映画を観にきてくださるようお願いをしに、撮影でお世話になった群馬県高崎市、富岡市に行ってまいりました。

関東の内陸は雪になります、という日で群馬県は雨でした。
花粉症なので雨はまさしく恵みの雨。
鶴子さんが卒業された県立高崎女子高等学校へは問屋町という駅から歩いていきました。
今回の目的は校長先生へのお礼と、映画祭での写真展のために取り残した資料写真をデジカメでとること。卒業生の資料が置かれた記念館で創設当時の学校を撮影。
さらに図書館で一回生の卒業集合写真を同じく撮影。2006年の映画の時もDVカメラで撮影させていただいたのですが、撮影に夢中でゆっくり見ることができず、今回、見せていただき一人一人確認していきましたがやはり鶴子さんがどの人かわかりませんでした。それで、デジカメで撮影したものをズームでさらに確認し、この人かも…と思われる女性が二人、さあどちらだろう…。

高崎駅にいったんもどり、そこから上信電鉄上信線で上州富岡へ。2両だけのこじんまりした電車で、平野部をゆっくり(新幹線で高崎まで来たのでなおさら)走り、富岡へ。

今回改めて市役所は駅のすぐ近くだったことに気がつきました。初めて来た時は、何かとても歩いた気がしたのですが。お世話になった部署にご挨拶。ちょうどできたばかりの「広報とみおか」をみせていただく。1Pの半分以上に、高崎映画祭と本映画の上映情報、完成後の歩みを掲載してくださってました。嬉しくて何部かもらいました。お話のあと、近くの書店、新聞販売店を紹介していただきポスター、チラシ、映画祭チケットをおいていただくように頼み、高崎にもどりました。

駅で待ち合わせした映画祭のスタッフの方とご挨拶。その足で前日急遽決まった高崎駅ビル内のラジオ高崎のブースで情報番組に生出演。10分ほど鶴子さんについてお話ししました。

今回の上映が2日間とも300名以上収容のホールなのでお客様でいっぱいになるかどうか。
映画完成以後、新聞やラジオに出るたびに(年に1、2度でしたが)群馬県からお問合せや実際に東京の上映会場まで足を運んでくださる方が何人もいらっしゃいました。
ぜひ、まず高崎映画祭で上映されることを県内の方々に知っていただくことが何よりと思い、早めにキャンペーン(というほどオーバーなものでありませんが)をしましたが、とても楽しく感慨深いものがありました。