2008年11月
2008年11月30日
ラジオビタミンと山路ふみ子映画賞授賞式
* * * * *
11/25(火)NHKラジオ「ラジオビタミンときめきインタビュー」に生出演しました。
小学校の頃、学校行事の前には必ず興奮のしすぎでモノモライができた。
待ちに待った臨海学校の前には両目にモノモライが出来て、目がつぶれた。
そんな怖い思い出を書いてどうする。
前日ほとんど眠れなかったが、NHK放送センターに到着し、ディレクターの方が迎えにいらした時は、もう落ち着いた。
スタジオはいたって居心地のよい雰囲気。お部屋で言うと、中央にリビングルームがあり、テーブルやソファがあった。そこで、本番の打合せなどしている人もいる。
リビングの一角にミキサーが並ぶ。リビングを囲むように小部屋があり、各小部屋はリビングに面して大きなガラス窓がある。
それぞれの部屋で、別の放送をしているようだ。
私は番組MCの村上信夫さん、神崎ゆう子さんと向かい合う形で座り、あとは普通のようにお話するだけだった。しゃべりすぎて止まらなくなったらどうしよう…でも、そこはプロのお二人、ちゃんと時間配分を考え、私の込み入った経歴も簡潔に分かりやすく紹介し、切りのいいところで音楽を挟み、あっという間に1時間が過ぎた。生放送ですよ、プロフェッショナルの技です、本当に!
それから数日、全国からたくさんの電話をいただいた。
上映情報を教えてくださいというのが一番多い。ぜひこの人を映画にして欲しい、というお電話も多かった。しかも日本で大きな業績を残した先駆的女性たちばかり。すぐにでも台本書いて映画に…という気持ちはあるのですが、身体は一つしかない。皆様のご期待にそえるか、考えてしまう。
上映情報でいえば、HPをご覧下さい、といってもパソコンを使わない方は新聞とテレビ、ラジオなどでしか情報を得ることができない。そういう方々に、どうやって最新情報を届けることが出きるのか。
ご住所をお聞きして連絡することにしているが、何か良い方法はないものか。
11月28日(金)ヤクルトホールにて山路ふみ子授賞式が行われた。
いつもお話する時に着ているスーツを数日前にクリーニングに出し、受け取って来た。
自分の中では最も高価なものなので、機械に任せてバンバンプレスされたら困る。
形が壊れたら終わりです。
それで「デラックス」コースで頼む。なんでもアイロン掛けを手でしてくださるそうだ。
まあ、ズボンの折り目が一部分2つになってたのを除けば合格か。
夕方5時半開場、6時開始なので5時前に姉、娘と共にヤクルトホールに到着。
えええ、もう長い列ができているではないか!
並んでる人を横目に入り口から入るのは…、自分が並んでいて、そういう人がいたら気持ちよくない、ぜったいに。でも入り口はそこだけなので、しかも着替えがあるし、なんだかんだ書類上のやりとりもあるので、ガラスのドアを開けて中に入る。
「盛況ですねえ」と財団の方に言うと、なんと昼の2時から並んでいるのだそうだ。
きっと、女優賞小泉今日子さん、新人女優賞の綾瀬はるかさんのファンの方々だろう。
控え室で白井佳夫さん、大竹洋子さん、品田雄吉さん、秋山登さん、西村雄一郎さんらにご挨拶。
舞台上の指定された席に着くと、なんと、小泉今日子さんのお隣だった。
お客様の視線やカメラレンズがこちらに集中している(モチロン小泉さんと綾瀬さん狙いってことは存じております)。
とにかく、満員のお客様と報道関係の方々で開場は熱気でいっぱい。
一人一人名前を呼ばれて賞状授与がはじまり、私は白井佳夫先生からいただいた。
綾瀬はるかさんの番になったとき、何かがマイクスポットにストーーンとホールインワンした。
受賞者のしるしの花のリボンだろうと思うが、会場が笑いの渦に。
ふと自分の賞金袋をみると「女優賞」とある。
私が女優賞なんてバカなあ。お隣の小泉さんの手元の袋をみると福祉賞とある。
それで、キョンキョンさんに「あの、これ」と話かけると、彼女も「あら」という感じで気がついて、
なんとも素敵な笑顔になって袋を交換した。綺麗でした、本当に。
授賞式終了後、ロビーにでると、大竹洋子さんを祝福に高野悦子さん、羽田澄子さんもいらしていて、一緒に記念写真をとっていただいた。もうすごいメンバーで舞い上がってしまった。
帰りは、シネジャのスタッフ(白石さん、影山さん、白井さん)は映画を観るとのことなので、姉と娘と満員の地下鉄に揺られ、新宿で下車し、「中村屋」で夕食をタラフク食べて帰宅。
興奮して眠れなかった…最近眠れない夜が続いているが、大丈夫だろうか。
こういう嬉しい初めての経験が続くと、そのことに気を取られて、本来行うべき映画作りへの取り組みがおろそかになりやしないか、またまた不安になる。
だから、というわけではないが、今日は朝からシネマスコーレの前売チケット作りに精を出す。このチケットの何枚がお客様の手元に届くのか。全部なくなりますように(ちょっと欲張りすぎ)。
2008年11月15日
山路ふみ子映画賞とNHKラジオ
信じられません。2008年山路ふみ子映画賞福祉賞を受賞することが決った。
この賞は、昭和10年代の名女優山路ふみ子さんが映画振興のために設立した「山路ふみ子文化財団」が選ぶその年最初の映画賞。日本映画から選考され監督または製作委員会が受賞対象となります。
福祉賞はこれまで「ふみ子の海」「明日の記憶」「誰も知らない」など素晴らしい作品が受賞しています。
授賞式は11月28日(金)ヤクルトホールで18:00から行われます。
10月31日に男女共同参画センター横浜南の上映会にNHK関係の方が観にこられていた。
ラジオインタビューの話が進みだしたとき、受賞の知らせが届いた。
グッドタイミングの受賞決定とラジオインタビュー。
この映画を支えてくださった皆様に喜びと感謝の気持ちをお伝えします。
ラジオ放送日は11月25日(火)午前10:00~11:00。NHKラジオ第一 ラジオビタミンときめきインタビュー。1時間丸まるインタビューで、しかも生放送です!
改めて自分の歩いてきた道を振りかえると、賞と縁が深いことがわかりました。
小学1年のころ劇団若草に入っていて研究生試験で「演技賞」を貰ったのが最初です。
大学卒業後、初めて演出助手で映画製作に参加した社会科教材映画が東京都教育映画コンクール金賞(これはもちろん短編映画界の鬼才といわれた上野耕三監督の力によるものだが)。
30代後半にいただいた新人映画シナリオコンクール入賞。
50歳のとき、ニューヨーク大学短期留学の派遣生に選ばれたのも競争率が激しかったから一種の賞だろう。
そして、61歳で得た今回の映画賞。
こういう素晴らしい賞にせっかく巡りあいながら、その後いかせず、遠回りばかりしてるのが私の人生だ。
努力が足りないのだろうか、調子に乗りすぎて神様から見放されるのだろうか…
映画監督は撮り続けてこそ映画監督だろう。
新作「嗚呼、満蒙開拓団」を作られた羽田澄子さんの、気力とバイタリティを見習いたい。
気を引き締めて、あと2,3作は本気で作っていきたい。
この賞は、昭和10年代の名女優山路ふみ子さんが映画振興のために設立した「山路ふみ子文化財団」が選ぶその年最初の映画賞。日本映画から選考され監督または製作委員会が受賞対象となります。
福祉賞はこれまで「ふみ子の海」「明日の記憶」「誰も知らない」など素晴らしい作品が受賞しています。
授賞式は11月28日(金)ヤクルトホールで18:00から行われます。
10月31日に男女共同参画センター横浜南の上映会にNHK関係の方が観にこられていた。
ラジオインタビューの話が進みだしたとき、受賞の知らせが届いた。
グッドタイミングの受賞決定とラジオインタビュー。
この映画を支えてくださった皆様に喜びと感謝の気持ちをお伝えします。
ラジオ放送日は11月25日(火)午前10:00~11:00。NHKラジオ第一 ラジオビタミンときめきインタビュー。1時間丸まるインタビューで、しかも生放送です!
改めて自分の歩いてきた道を振りかえると、賞と縁が深いことがわかりました。
小学1年のころ劇団若草に入っていて研究生試験で「演技賞」を貰ったのが最初です。
大学卒業後、初めて演出助手で映画製作に参加した社会科教材映画が東京都教育映画コンクール金賞(これはもちろん短編映画界の鬼才といわれた上野耕三監督の力によるものだが)。
30代後半にいただいた新人映画シナリオコンクール入賞。
50歳のとき、ニューヨーク大学短期留学の派遣生に選ばれたのも競争率が激しかったから一種の賞だろう。
そして、61歳で得た今回の映画賞。
こういう素晴らしい賞にせっかく巡りあいながら、その後いかせず、遠回りばかりしてるのが私の人生だ。
努力が足りないのだろうか、調子に乗りすぎて神様から見放されるのだろうか…
映画監督は撮り続けてこそ映画監督だろう。
新作「嗚呼、満蒙開拓団」を作られた羽田澄子さんの、気力とバイタリティを見習いたい。
気を引き締めて、あと2,3作は本気で作っていきたい。
2008年11月09日
静岡県清水市での上映会
11/8(土)清水港が一望できる清水テルサのホールで行われました。
主催はNPO法人清水ネットという、清水市のさまざまな職業の方々が集まって文化事業を展開しているグループです。農業、書店経営、サラリーマン、映画サークル代表、ホテルのおかみ、憲法9条の会、環境問題に取り組む方…すごいです、みな、その道の達人たちが清水市のために頑張っているわけです。
理事の方が6月に横浜ジャック&ベティまでわざわざ観に来てくださり、上映会開催を図ってくださいました。それから11月の上映会まで、費用は?チラシは?ポスターは?宣伝は…など何度もやりとり。
上映にあたり静岡県男女共同参画センター交流会議も加わってくださりやっと実現しました。
交流会議さんは今年の2月に浜松市で上映会を主催してくださいましたが、事務局長さんは清水のほうにも挨拶のために来てくださり感謝でいっぱいです。
主催の皆様の奮闘振りはすごいもので、地域ネットワークをフルにいかして幅広く周知してくさいました。
読売新聞、静岡新聞に上映会記事が載り、とくに静岡新聞はチラシと鶴子さんの本「楽しき思い出」のカラー写真付です。
また理事がFMラジオにも出演されたそうです!
シネマジャーナルからは白井さんが名古屋から駆けつけて、本の販売を手伝ってくださいました。お忙しいのに本当に助かりました!
終了後、NPO法人清水ネットの方々とコーヒーを飲みましたが、そこで鶴子さんをめぐるご縁がわかりました。
まず本作品に注目してくださった理事は群馬県高崎市出身で、鶴子さんと同じ高崎女子高等学校卒だそうです。高校創設時から使われていた体育館を思い出し、鶴子さんもあそこで体育を学ばれたのだなあ、と考えたとのこと。別の理事は日本女子大卒で桜楓会のメンバーでした。
さらに、少し離れた席に品のいい高齢の女性がずーと座っていらっしゃいました。その方は別の理事のお母様(82歳)で、日本女子大で学んだ方でした。少ししたら鶴子さんについての話が楽しそうだから、と同じテーブルにいらっしゃいましたので、戦前の女子大の授業や寮生活、成瀬先生について質問攻め…テキパキと昨日のことのように話してくださり、さらに話が盛り上がりました。
NPO法人清水ネットの皆様、交流会議様、無事終了できてありがとうございました。
主催はNPO法人清水ネットという、清水市のさまざまな職業の方々が集まって文化事業を展開しているグループです。農業、書店経営、サラリーマン、映画サークル代表、ホテルのおかみ、憲法9条の会、環境問題に取り組む方…すごいです、みな、その道の達人たちが清水市のために頑張っているわけです。
理事の方が6月に横浜ジャック&ベティまでわざわざ観に来てくださり、上映会開催を図ってくださいました。それから11月の上映会まで、費用は?チラシは?ポスターは?宣伝は…など何度もやりとり。
上映にあたり静岡県男女共同参画センター交流会議も加わってくださりやっと実現しました。
交流会議さんは今年の2月に浜松市で上映会を主催してくださいましたが、事務局長さんは清水のほうにも挨拶のために来てくださり感謝でいっぱいです。
主催の皆様の奮闘振りはすごいもので、地域ネットワークをフルにいかして幅広く周知してくさいました。
読売新聞、静岡新聞に上映会記事が載り、とくに静岡新聞はチラシと鶴子さんの本「楽しき思い出」のカラー写真付です。
また理事がFMラジオにも出演されたそうです!
シネマジャーナルからは白井さんが名古屋から駆けつけて、本の販売を手伝ってくださいました。お忙しいのに本当に助かりました!
終了後、NPO法人清水ネットの方々とコーヒーを飲みましたが、そこで鶴子さんをめぐるご縁がわかりました。
まず本作品に注目してくださった理事は群馬県高崎市出身で、鶴子さんと同じ高崎女子高等学校卒だそうです。高校創設時から使われていた体育館を思い出し、鶴子さんもあそこで体育を学ばれたのだなあ、と考えたとのこと。別の理事は日本女子大卒で桜楓会のメンバーでした。
さらに、少し離れた席に品のいい高齢の女性がずーと座っていらっしゃいました。その方は別の理事のお母様(82歳)で、日本女子大で学んだ方でした。少ししたら鶴子さんについての話が楽しそうだから、と同じテーブルにいらっしゃいましたので、戦前の女子大の授業や寮生活、成瀬先生について質問攻め…テキパキと昨日のことのように話してくださり、さらに話が盛り上がりました。
NPO法人清水ネットの皆様、交流会議様、無事終了できてありがとうございました。
2008年11月04日
10/31早稲田大学上映会報告
今回の作品を作る過程で何回か早稲田大学中央図書館を利用させていただいた。
図書館といえば大隈重信公の像のはす前にある図書館を想像していたが、そこは博物館になっており、新しい図書館は少し離れたところにあった。
上映会場の国際会議場はその同じ棟にあった(実際はその後ろの棟だったかも…)
ここは昔、安倍球場という野球場があり、夜など寂しいところだったがあまりの変わり方に驚いてしまった。
知らなかったのですが、卒業生はカードをつくれば中央図書館を自由に利用できるんです!
在学した70年前後は学園闘争の真っ只中。入試は機動隊に守られて、理工学部で受けたと思う。
文学部の授業はほとんど休校で、積み上げたバリケードをよけて中に入ろうとしたら「そこの彼女!なんのつもりだ!」と見張ってる自治会の人に注意されて怖かった思いもある。
今思えば、社会性に乏しく大学ー自宅ー映画館ーボーイフレンドをぐるぐる移動していた生活だったような気がする。
卒業式はモチロンなし。各教室で免状をいただいたような気がする。
私はもう小さな映画会社でアルバイトしていたので出席したか、あとで貰いに行った覚えてないが、証書は我が家にあるので卒業したことは確かである。
卒論は山田洋次論。「下町の太陽」「愛の賛歌」や馬鹿シリーズ、ハナ肇、なべおさみ主演の現代ものと寅さんシリーズが3作目まで作られていたので、それらと東宝サラリーマン喜劇と比較して書きました。
今年のあいち国際女性映画祭のクロージングパーティでその山田監督のお隣に立ったときは、感慨もひとしおでした。
そんな私が、晴れがましくも、オール早稲田文化週間で自作を上映できるなんて(モチロン出来たらいいなあ、と希望していたのですが)興奮してしまった。
上映後、男女共同参画推進室一周年の男女意識調査報告と、ロゴ発表と発案者表彰が行われ、1年生の男子学生の方が緊張した面持ちで免状を受け取ったが、そのういういしい姿が可愛かった。
何しろ息子より若い方なんですね
学生時代のいろいろなことが甦り、ここが出発点で、38年ぶりに出発点に戻ってきたような気がしたのでした。
早稲田大学男女共同参画推進室及び女性研究者支援総合研究所の皆様、4月の出会いから6ケ月にわたり、上映会実現のために、いろいろありがとうございました。
図書館といえば大隈重信公の像のはす前にある図書館を想像していたが、そこは博物館になっており、新しい図書館は少し離れたところにあった。
上映会場の国際会議場はその同じ棟にあった(実際はその後ろの棟だったかも…)
ここは昔、安倍球場という野球場があり、夜など寂しいところだったがあまりの変わり方に驚いてしまった。
知らなかったのですが、卒業生はカードをつくれば中央図書館を自由に利用できるんです!
在学した70年前後は学園闘争の真っ只中。入試は機動隊に守られて、理工学部で受けたと思う。
文学部の授業はほとんど休校で、積み上げたバリケードをよけて中に入ろうとしたら「そこの彼女!なんのつもりだ!」と見張ってる自治会の人に注意されて怖かった思いもある。
今思えば、社会性に乏しく大学ー自宅ー映画館ーボーイフレンドをぐるぐる移動していた生活だったような気がする。
卒業式はモチロンなし。各教室で免状をいただいたような気がする。
私はもう小さな映画会社でアルバイトしていたので出席したか、あとで貰いに行った覚えてないが、証書は我が家にあるので卒業したことは確かである。
卒論は山田洋次論。「下町の太陽」「愛の賛歌」や馬鹿シリーズ、ハナ肇、なべおさみ主演の現代ものと寅さんシリーズが3作目まで作られていたので、それらと東宝サラリーマン喜劇と比較して書きました。
今年のあいち国際女性映画祭のクロージングパーティでその山田監督のお隣に立ったときは、感慨もひとしおでした。
そんな私が、晴れがましくも、オール早稲田文化週間で自作を上映できるなんて(モチロン出来たらいいなあ、と希望していたのですが)興奮してしまった。
上映後、男女共同参画推進室一周年の男女意識調査報告と、ロゴ発表と発案者表彰が行われ、1年生の男子学生の方が緊張した面持ちで免状を受け取ったが、そのういういしい姿が可愛かった。
何しろ息子より若い方なんですね
学生時代のいろいろなことが甦り、ここが出発点で、38年ぶりに出発点に戻ってきたような気がしたのでした。
早稲田大学男女共同参画推進室及び女性研究者支援総合研究所の皆様、4月の出会いから6ケ月にわたり、上映会実現のために、いろいろありがとうございました。