2008年10月
2008年10月28日
福島県喜多方市から戻りました
10/25日(土)は横浜のフォーラム南太田での上映会でした。
京急・南太田駅下車、通りにでると一番目につく掲示板に上映会のポスターがはってあり感激しました。
6月に、横浜の映画館「シネマジャック&ベティ」で一般公開していたので、さらにお客様が集まるか心配でしたが、嬉しいことに会場は満員。
チラシをご覧になった新しいお客様や、鶴子さんの母校の卒業生、コロンビア大学関係の方々…。
最後に、五大路子さんが駆けつけてくださるサプライズもあり、素敵な上映会となりました。
終了後、初めてテス企画として製作依頼を下さった女性センタースタッフの方々が、18年後に、このように同じスタッフで私の上映会をしてくださったことが嬉しくて、同窓会のように記念写真をとりました。
そして、10/26(日)、早朝の高速バスで会津若松へ。
喜多方市へ列車で行くと乗り換えが多く、バスがいいですよ、と主催者の方が教えくださった。
9月に高速バスチケットを予約すると、なんとバスも飛行機と同じ早割りがあるとのことで、片道2600円。往復で10000円しないのです。
喜多方市の上映会は午前、午後の2回。
午前の部はどんなに頑張っても9:30開始には間に合わず、午後だけ参加させていただくことにしました。
7:30新宿発ー会津若松12:10到着。そこから喜多方まで車で40分かかるため、バス停に市の職員の女性が車で迎えに来てくださった。
バスから車に飛び乗り、中でスーツに着替えて(早替わり!)、会場に到着。
どうにか上映前の挨拶をすますことができました。
「上映後はお話の時間を1時間とってあります!」とのこと。内容がそこまでもつかなあ、心配になり、お話の後半は会場の皆様とトークをすることにした。
鶴子さんは特別だったのか、なぜ彼女は結果を残すことができたのか…などを時代との関係も交えてお話し、とにかく自分の気持ちを外に発信し、人にわかっていただき、実績を残さないと誰も助けてくれない!とお話した。
私は、人間関係であまりア・ウンの呼吸はないのでないか…と思っているので。
それを受けて、会場の皆様がつぎつぎと発言してくださった。
喜多方は、商売で栄え、蔵の町として有名ですが、富岡市と同じ養蚕も盛んだったという共通点があるようです。
専業農家の奥様や元教師の女性、ゼロ歳児保育をしてください訴えて、翌年、それが実現した仕事を持つ主婦などが次々と手をあげて話して下さった。
皆さん、率直で一生懸命で、すぐに1時間が過ぎてしまった。それで、まだ話したりない方とは受付でお話し、終了。この盛り上がりに担当者の方も嬉しそうでした。
夜は、帰りのバスがないので、泊まることにして、打ち上げというか、私の「歓迎会」とも言うべき夕食会を、合同プロジェクトでひらいてくださった。(なんというもてなし、気恥ずかしくて…)。
そこへ喜多方市長がいらしてくださり、もう、職員の皆様も私も緊張でありました。
市長は少しお話されて、次のお仕事に駆けつけられましたが…太極拳市長さんらしく身が軽く、とても気さくで博識の方でした。
宿は担当の女性が「笹屋旅館」という明治12年にできた由緒ある素晴らしい旅館を予約してくださった。
自分で探したらきっと見つけられなかったと思う。
竹下夢二や文学者、日本画家たちが宿泊したそうで、三代目店主は画商であり美術品収集家だったこともあり、貴重な絵を所蔵。また宿代が払えないで絵を置いていった画家たちいたそうで、現在、蔵を改装して、美術館にされていた。
嬉しいことに、店主さんのご好意で朝早く、特別に美術館を開けてくださった。私はその貴重な所蔵品をゆっくり鑑賞することができたのです。
夢二が、割烹着、頭に手ぬぐいを巻いて布を叩く農婦を描いていたのを初めて知りました(もしかしたら有名な絵なのでしょうか)。
旅館を後にし喜多方市街の蔵めぐり。そこへ可愛い馬車がパカパカやって来ました。
蔵や大きな農家を移築したスポットへ移動、体育館のような農家には囲炉裏の火が燃えていました。
これは観光のためでなく、茅葺は毎日火をたく必要があるそうで、そのお仕事も大変だなあと思いました。
蔵の一つに日本のナイチンゲールと言われる、喜多方市出身の瓜生岩子の展示がありました。鶴子さんの母親の世代に、こんなすごい人がいたなんて!あまり知られてないので残念です。
帰りのバス停留所のある会津若松では戊辰戦争の白虎隊の悲劇で有名な飯盛山へ登りました。
飯盛山へは長い石の階段を上るのですが、横に、恵比寿の歩く歩道のようなものが出来ていて250円の表示。ちょっと節約して石段を歩いてのぼりはじめたのですが、少しすると前日からの寝不足のためか心拍数が急激に速くなり、息切れがして、残りの石段は歩く歩道に乗りました。
半分乗ると100円。150円の節約ですが、なんか味気ないやら、メタボが情けないやら。
しかし、山の上に着くと周りは森閑とし、ピュアな魂で無念のうちに自分に刃をあてた少年たちの霊気が漂い、引き締まる思いがしました。
男女共同参画センター横浜南の皆様、福島県の男女共生のためのプロジェクトの皆様、大変お世話になりました。
次の上映は
10月31日(金)13:00~ 早稲田大学 国際会議場3F
定員 100名 無料
交通 高田馬場より学バス 西早稲田下車 そこで国際会議場または早稲田大学中央図書館をお聞きください。緩やかな坂の途中にあるますが、初めての方はちょっと分かりにくいかもしれません。徒歩3分ほど。だいぶお問合せがありますのでお早めにいらしてください。
※写真左 竹下夢二の掛け軸(オリジナル)、右上 フォーラム南太田で鶴子さんの後輩の皆様と
写真右下 笹屋旅館と奥の蔵が美術館 真ん中 蔵の街を歩く馬っ子
※飯盛山の歩く歩道の料金小屋に猫が5~6匹、料金係のおじさんが言うには、貰い手がなくて野良なんですって。親猫らしき猫は首に腫瘍があって腫れていてあまり動きません。医者へ入ってるのかなあ。子猫(といっても6ケ月くらい)は無邪気に追いかけごっこしている。中に白黒の尾がすらーーーと長いのがいてこちらを見るのでもって帰りたかったが、バスの長旅には無理…冬になると、小屋を閉めるので猫だけになるとか…。「でもエサは誰かがあげるよ、大丈夫だよ」とおじさんは言ってたが、猫の好きな方でもし興味がある方がいらしたら見にいってあげてくださいね。
2008年10月20日
横浜 フォーラム南太田シネマ&トーク
10/25に横浜にある男女共同参画センター横浜南で上映会とトークが開催されます。
フォーラム南太田という愛称で市民に親しまれている施設です。
横浜は女性の自立、社会参加、男女共生の活動が昔から盛んですが、いちはやく世界に門戸を開いた進取の精神が脈々と流れているからでしょうか。
戸塚にある女性施設がまだ横浜女性フォーラムと呼ばれていた時代、テス企画は、そこからはじめて大きなビデオ製作の仕事をいただき、嬉しくて夢中で作った覚えがあります。
映像プロダクションからの下請けでなく、テス企画が製作した最初の仕事でした。
チャンスを頂き、成し遂げた成功体験は、あとあと困難にぶつかった時の乗り切るエネルギーとなっています。
ランドマークタワーの上階に海外の女性運動の資料をいっぱい揃えた分室がありましたが、素晴らしい眺めと素敵な施設の中にある洋書の列にちょっとうっとりしました。
そこで行われた女性の国際会議の記録ビデオも何本か製作させていただきました。
私の作品は、男女共同参画センターや大学の男女共同参画推進室からのお問合せ多いようです。
子どもの頃「キチガイを治す仕事がしたい」という夢をもち、女性に教育は不要といわれながらも、本当に女性は能力的に男性より劣っているのだろうか悩み、努力を続け、命がけで海を渡り、女性の知性を証明した百年前の女性の話だからかもしれません。
不治の病に犯されながらも前向きに妻、母、研究者として生きた鶴子には、現代女性と共通する部分が多くあり、私自身、鶴子さんの生き方から多くの勇気と励ましをいただいています。
男女共同参画センター横浜南 フォーラム南太田 シネマ&トーク
10月25日(土)13:30~ 当日参加費1000円 事前申込み900円
上映後に監督とのQ&Aがあります。
お問合せは045-714-5911男女共同参画センター横浜南 常光さん
定員120名
お待ちしてしております。
フォーラム南太田という愛称で市民に親しまれている施設です。
横浜は女性の自立、社会参加、男女共生の活動が昔から盛んですが、いちはやく世界に門戸を開いた進取の精神が脈々と流れているからでしょうか。
戸塚にある女性施設がまだ横浜女性フォーラムと呼ばれていた時代、テス企画は、そこからはじめて大きなビデオ製作の仕事をいただき、嬉しくて夢中で作った覚えがあります。
映像プロダクションからの下請けでなく、テス企画が製作した最初の仕事でした。
チャンスを頂き、成し遂げた成功体験は、あとあと困難にぶつかった時の乗り切るエネルギーとなっています。
ランドマークタワーの上階に海外の女性運動の資料をいっぱい揃えた分室がありましたが、素晴らしい眺めと素敵な施設の中にある洋書の列にちょっとうっとりしました。
そこで行われた女性の国際会議の記録ビデオも何本か製作させていただきました。
私の作品は、男女共同参画センターや大学の男女共同参画推進室からのお問合せ多いようです。
子どもの頃「キチガイを治す仕事がしたい」という夢をもち、女性に教育は不要といわれながらも、本当に女性は能力的に男性より劣っているのだろうか悩み、努力を続け、命がけで海を渡り、女性の知性を証明した百年前の女性の話だからかもしれません。
不治の病に犯されながらも前向きに妻、母、研究者として生きた鶴子には、現代女性と共通する部分が多くあり、私自身、鶴子さんの生き方から多くの勇気と励ましをいただいています。
男女共同参画センター横浜南 フォーラム南太田 シネマ&トーク
10月25日(土)13:30~ 当日参加費1000円 事前申込み900円
上映後に監督とのQ&Aがあります。
お問合せは045-714-5911男女共同参画センター横浜南 常光さん
定員120名
お待ちしてしております。
2008年10月14日
日本教育心理学会3日連続上映
10月11日から13日まで東京学芸大学で行われた日本教育心理学会第50回記念大会で、本作品が連日複数回上映されました。
昨年、12月に大学の男女共同参画推進本部主催で上映会をしていただき、その時の担当の心理学の先生方とのご縁で実現した。
その時の上映会には、朝日新聞に紹介されたこともあり、多くの地元の皆様がご来場されたので、今回は学会の先生、研究者の方々のみ対象でした。
天気はいいし、東京学芸大学の広いキャンパスに、きっと多くの先生方がいらしてるだろうなあ、と家で仕事をしながら想像していた。
担当の先生から「結構はいってますよ」「日本心理学会でどうしてもご覧になれなかった先生がいらしてましたよ」とメールをいただいた。
これまでの試写会や上映会、映画館での一般公開、9月北大で開催された日本心理学会大会など、すべてあわせると、本当に多くの心理学関係者の方々に鶴子さんの存在を知っていただいたことになる。
知っていただく、ということも映画作りの喜びの一つである。
日本教育心理学会の皆様、東京学芸大学の先生方、ありがとうございました。
昨年、12月に大学の男女共同参画推進本部主催で上映会をしていただき、その時の担当の心理学の先生方とのご縁で実現した。
その時の上映会には、朝日新聞に紹介されたこともあり、多くの地元の皆様がご来場されたので、今回は学会の先生、研究者の方々のみ対象でした。
天気はいいし、東京学芸大学の広いキャンパスに、きっと多くの先生方がいらしてるだろうなあ、と家で仕事をしながら想像していた。
担当の先生から「結構はいってますよ」「日本心理学会でどうしてもご覧になれなかった先生がいらしてましたよ」とメールをいただいた。
これまでの試写会や上映会、映画館での一般公開、9月北大で開催された日本心理学会大会など、すべてあわせると、本当に多くの心理学関係者の方々に鶴子さんの存在を知っていただいたことになる。
知っていただく、ということも映画作りの喜びの一つである。
日本教育心理学会の皆様、東京学芸大学の先生方、ありがとうございました。
2008年10月10日
祝!名古屋大学
今年のノーベル賞は4人の日本人受賞者がでて、連日テレビで報道されている。
その4名の先生方のうち3名が名古屋大学で学んだ方々だった。
実は、今年は映画の上映で、6月名古屋大学、9月あいちウィルホールへ行ったこともあり、名古屋大学の快挙がことのほか嬉しい。
特に、名古屋大学での上映は、男女共同参画推進と女子研究者支援が大きな目的で、連絡を取り合っていた担当の女性研究者は物性科学を専門にされていたと思う。きっとお喜びだろう。
名古屋大学のキャンパスがニュースで何度か映った。
特に、上映場所、野依記念物質科学研究館2階ホールが、今回の受賞者で長崎大学を出て名古屋大学で博士号を取得された下村教授が講演された場所として映った時は、「うわー」と思った。
スクリーンが観やすくて、2回の上映とも、お客様で一杯だった。
その上映会に出席してくださった倉西正武コロンビア大学名誉教授(鶴子さんの一人娘である早百合さんの夫)は名古屋大学出身で、母校で数学を教えられた後、コロンビア大学に招聘されてニューヨークへ渡った方である。
時代がちょうど、南部教授や下村教授が頭脳流出する時期と重なっており、思わず戦後の名古屋大学でそうそうたる若き学者たちが議論を交わす姿を勝手に想像し、すごい時代だったのだなあ、とつぶやいてしまった。
下村教授が「どんな困難でも諦めず続けなさい」とインタビューでおっしゃっていたが、説得力があった。ノーベル賞の関連ニュースとして、少ない国の予算の中、こつこつと基礎科学を研究されている先生方が紹介されたが、感動した。
どんな分野でも、強い意志で、自分を信じて、こつこつ仕事し続けることが大切なのだろう。
その4名の先生方のうち3名が名古屋大学で学んだ方々だった。
実は、今年は映画の上映で、6月名古屋大学、9月あいちウィルホールへ行ったこともあり、名古屋大学の快挙がことのほか嬉しい。
特に、名古屋大学での上映は、男女共同参画推進と女子研究者支援が大きな目的で、連絡を取り合っていた担当の女性研究者は物性科学を専門にされていたと思う。きっとお喜びだろう。
名古屋大学のキャンパスがニュースで何度か映った。
特に、上映場所、野依記念物質科学研究館2階ホールが、今回の受賞者で長崎大学を出て名古屋大学で博士号を取得された下村教授が講演された場所として映った時は、「うわー」と思った。
スクリーンが観やすくて、2回の上映とも、お客様で一杯だった。
その上映会に出席してくださった倉西正武コロンビア大学名誉教授(鶴子さんの一人娘である早百合さんの夫)は名古屋大学出身で、母校で数学を教えられた後、コロンビア大学に招聘されてニューヨークへ渡った方である。
時代がちょうど、南部教授や下村教授が頭脳流出する時期と重なっており、思わず戦後の名古屋大学でそうそうたる若き学者たちが議論を交わす姿を勝手に想像し、すごい時代だったのだなあ、とつぶやいてしまった。
下村教授が「どんな困難でも諦めず続けなさい」とインタビューでおっしゃっていたが、説得力があった。ノーベル賞の関連ニュースとして、少ない国の予算の中、こつこつと基礎科学を研究されている先生方が紹介されたが、感動した。
どんな分野でも、強い意志で、自分を信じて、こつこつ仕事し続けることが大切なのだろう。
2008年10月05日
10/4もりおか女性センターフェスティバルでの上映会
昨夜戻りました。盛岡は紅葉がはじまったばかり。
おでってホールのある「プラザおでって」は、中津川沿いの素晴らしいランドマークの中にあった。
川を挟んだ左高台は盛岡城跡公園。幕府側についたために城は焼かれ、巨大な石垣だけが整然と残っている。
川を挟んだ右側には岩手日報など新聞社、テレビ局などマスコミ各社、盛岡市役所などがある。
通りを挟んだ右隣は旧盛岡銀行本店。堂々たる赤レンガの建物は東京駅丸の内口のレンガ舎を設計した辰野金吾氏の作品。明治44年(1911年)に完成した国指定の有形文化財。
明治、大正の歴史を守りつつ、文化、政治の中心地として活動するここには、もう一つすごいドラマがあった。
この時期、中津川を上がってくるサケの産卵だ。
サケの夫婦が長い道のりをヨレヨレになりながら泳いできて、ちょうどプラザのあたりでメスが卵を産み、オスが精子をかけ、その後、夫婦は息絶えるそうだ。
今ちょうど人生を閉じたサケの死体がチラホラ見える時期。
市民の方々が中の橋の欄干からその様子をご覧になっていた。
さらに市民は死んだサケをかってに持ち帰って食べることは禁止されている。
これはカラスのエサとなり天命をまっとうさせるため。
これぞ自然の摂理、リサイクル。生き物の壮大なドラマ。
生死の実感を液晶モニターでしか知ることのない子どもたちにいい社会科教育になりますね、と言うと、その通りで、毎年、小学生たちがここからサケの稚魚を放すとのこと。
その赤ん坊サケが4,5年たつとまた川を上ってくる。
なんか、こういう命のサイクルを身近に感じることができる場所に住みたくなった。
さて、会場はこじんまりとした空間に小さい舞台とスクリーン。しかしAV設備は完備している。
本作品にぴったりのホールだった。
主催者の皆さんの奮闘で新聞、タウン誌などに掲載していただいたこともあり満席にちかい状態。
朝からの雨もお昼には止み、青空がみえる土曜日。それもあって当日券20枚もでたそうだ。
会場に取材にみえた岩手日報の記者からインタビュー受けたので新聞にのるかもしれない。
楽しみに待っていよう。
盛岡駅にセンター長のお迎えを受け、帰りは副センター長の軽いハンドル裁きで盛岡まで送っていただいた。なんかVIP扱いで恐縮しっぱなし。
センター一丸となって女性の問題に取り組み、市民とのコミュニケーションをとりながらハツラツ、てきぱきと活動を続けるもりおか女性センターのスタッフ皆様、ありがとうございました。
今、気が付いたが、昨夜、戻って夜遅く食べた夕食はサケの焼いたのと、納豆に、ナスの漬物にビール。
人生のドラマなどと書きながら、サケの切り身をガツガツ食べました。
おでってホールのある「プラザおでって」は、中津川沿いの素晴らしいランドマークの中にあった。
川を挟んだ左高台は盛岡城跡公園。幕府側についたために城は焼かれ、巨大な石垣だけが整然と残っている。
川を挟んだ右側には岩手日報など新聞社、テレビ局などマスコミ各社、盛岡市役所などがある。
通りを挟んだ右隣は旧盛岡銀行本店。堂々たる赤レンガの建物は東京駅丸の内口のレンガ舎を設計した辰野金吾氏の作品。明治44年(1911年)に完成した国指定の有形文化財。
明治、大正の歴史を守りつつ、文化、政治の中心地として活動するここには、もう一つすごいドラマがあった。
この時期、中津川を上がってくるサケの産卵だ。
サケの夫婦が長い道のりをヨレヨレになりながら泳いできて、ちょうどプラザのあたりでメスが卵を産み、オスが精子をかけ、その後、夫婦は息絶えるそうだ。
今ちょうど人生を閉じたサケの死体がチラホラ見える時期。
市民の方々が中の橋の欄干からその様子をご覧になっていた。
さらに市民は死んだサケをかってに持ち帰って食べることは禁止されている。
これはカラスのエサとなり天命をまっとうさせるため。
これぞ自然の摂理、リサイクル。生き物の壮大なドラマ。
生死の実感を液晶モニターでしか知ることのない子どもたちにいい社会科教育になりますね、と言うと、その通りで、毎年、小学生たちがここからサケの稚魚を放すとのこと。
その赤ん坊サケが4,5年たつとまた川を上ってくる。
なんか、こういう命のサイクルを身近に感じることができる場所に住みたくなった。
さて、会場はこじんまりとした空間に小さい舞台とスクリーン。しかしAV設備は完備している。
本作品にぴったりのホールだった。
主催者の皆さんの奮闘で新聞、タウン誌などに掲載していただいたこともあり満席にちかい状態。
朝からの雨もお昼には止み、青空がみえる土曜日。それもあって当日券20枚もでたそうだ。
会場に取材にみえた岩手日報の記者からインタビュー受けたので新聞にのるかもしれない。
楽しみに待っていよう。
盛岡駅にセンター長のお迎えを受け、帰りは副センター長の軽いハンドル裁きで盛岡まで送っていただいた。なんかVIP扱いで恐縮しっぱなし。
センター一丸となって女性の問題に取り組み、市民とのコミュニケーションをとりながらハツラツ、てきぱきと活動を続けるもりおか女性センターのスタッフ皆様、ありがとうございました。
今、気が付いたが、昨夜、戻って夜遅く食べた夕食はサケの焼いたのと、納豆に、ナスの漬物にビール。
人生のドラマなどと書きながら、サケの切り身をガツガツ食べました。