2008年08月

2008年08月31日

あいち国際女性映画祭へ

9月2-7日まであいち国際映画祭に参加します。
あれこれ荷造りしていたら、海外旅行のような荷物になってしまった!
海外用の大きな旅行カバンで映画祭へ行ったらみんな驚くかしら、なに、海外から招待された監督もいるんだから気にする方が意識過剰だ。

せっかく映画祭へ行くのだから、オフの日は観れるだけの映画を観るつもり。
シネマジャーナルの記事も書かないといけないし。
それと、時間があったら前から気になっていた三岸節子美術館へ行けたらいいなあ。
彼女は3人の子どもを一人で育て上げると、63歳でフランスへ渡り、20年間も絵を描いて暮らした。
そして日本に戻り、10年間さらに新しい自分の世界を絵に託した。
「さいたさいた、さくらがさいた」の生命力、力強さ!
彼女の生い立ちを読んだ時、私だって63歳からニューヨークに渡り20年間映画をとることだってできるのだ!還暦は終わりでない!大切なのはやろうという気持ちだと思った。
実際はそんなお金はありませんが、勇気がわきますよね、やってみようという気持ちが。

しかしここ数年の異常気象はどうしたものか。
愛知県は雨の被害も出ているし、住民の皆様は大丈夫だろうか。
昨年、群馬県で上映会をした同じ時期、富岡市の河川が決壊して被害がでた。
大災害にならないといいが。

映画祭にさきがけ、先週、愛知の新聞各社に映画祭のプログラムや本作品のチラシなど入れた案内を送ったが反応なし。
名古屋大学上映のときはあんなに関心をもってくださったのに。
知人にも再度お知らせしたが、どのくらいのお客様が来てくださるか。
あとは行ってから、チラシ配りをしようか、と思う。

名古屋在住の皆様、名古屋大学が満員御礼でご覧になれなかった皆様、ぜひ9月4日(木)14:00~ウィルホールへいらしてくださいね!

2008年08月24日

虫プロダクションとのお仕事

8/22に「夏休み 国づくり歴史アニメ映画会」が文京シビック小ホールで開かれた。
久しぶりに自分が総合演出(アニメとビデオのコラボ)した短編アニメ2本を観たが、テンポがあって面白いなあ(自画自賛)。
面白さのほとんどはアニメーションの素晴らしさと、原作となった絵本の質の高さによるところが大きい。

虫プロダクションはアニメ製作の老舗。
会社は世界に誇る手塚治虫先生が「鉄腕アトム」を生み出した練馬区内の建物の中にある。
創設当時そのままの、民家を事務所にしたような趣の会社であった。

手塚治虫関係のプロダクションはもう一つ、ご長男の手塚真氏がされている手塚プロダクションが高田馬場にある。

虫プロダクションはどちらかというと地味だが、職人気質と温かさで、手塚治虫のヒューマン溢れる心を世に伝えている。
最近では「NAGASAKI1945~アンゼラスの鐘~」がヒット。
NYにある国連でも上映され絶賛をあびた。
米国の小学校や中高、大学でも上映会を行い、原爆投下による悲劇、その中から力強く立ち上がった日本人の姿を若い世代に伝えている。
海外の若者に大人気のアニメだからこそできた功績だと思う。
反響はヨーロッパにも広がり、フランス、ドイツなどでも上映が続いているそうだ。

上映後、「心理学者 原口鶴子の青春」を紹介してくださり、私も短くご挨拶をした。
また、今年の秋に公開される虫プロダクションの総力を結集した「バッテンライ!南の島の水ものがたり」の予告編が初公開され、会場にテーマ曲、一青窈の「受け入れて」が流れた。
台湾と日本の架け橋、台湾の人々を水害、飢饉から救うために命がけでダムを作った金沢出身の土木技師、八田與一の生涯を描いている。
公開が今から楽しみです。

2008年08月21日

100年前の日本

すごく遠い昔と思っていたが、この作品を製作してすごく身近になった。
特に100年前の女性というと、つい自分の祖母のことを考えるが、私は両親が高齢になって生まれたものだから祖父母と会ったことがなく、具体的な像が結べなかった。
ちなみに父の母は万延元年(1860)生まれ。父の遺品を整理していた時、小学校の通信簿が出てきて、母の欄にそのような記入がありびっくした。

当時、女性は参政権がなく高等教育は不要、教育は女性にとって害になると言われていた時代。
知能が高く、勉強がしたい女性たちは、どのように自分の人生をやり過ごしてきたのか。
仕方なく結婚して、子育てするしか道がなかったのか。
また、女性に教育は不要と論陣をはっていた男性たちってどんな人たちかも調べたい。

そんな中、女子教育はこれから絶対に必要だ、と世論に抗して講演や本で考えを発表されていた男性たちも数少ないがいた。妨害や嫌がらせの暴力などもあったらしい。
そういう男性たちってどんな人たちなのだろう。
できれば彼らのプロフィール写真がみたい。
そういう男性の何人かの写真はみたが、びっくりするほどハンサムが多い。
女性の能力を認めることと容姿は関係ないと思うが…いやあるかもしれない。
彼らが女性を認めるに至った生育歴もとても興味がある。

なんか、作品から離れて趣味趣向の世界の話になってしまったかなあ。

2008年08月13日

原口鶴子著『楽しき思い出』

最近、暑くて外にでないのでマメにブログを書いています。

本日、『楽しき思い出』の注文が2冊。
いつからか映画とは別に本を口コミで知り、お申込みくださるお客様が増えている。
お孫さんの後藤夫妻がこつこつと復刻版を手作りしてきた甲斐があるし、鶴子さんの文才が評価されるのはとても嬉しいことだ。

『楽しき思い出』はご家族が映画完成を記念して、再復刻をされた新書版。お作りになっても販売ルートはないので、作品HPと上映会での販売、受注をお引き受けした。

もともとこの留学記を読んで映画製作をはじめたのだが、もうひとつこの本を中心に構成したのには訳がある。
資料を調べるうち、國枝マリ先生がコロンビア大留学中に英文でまとめたレポート(1978年)、荻野いずみさんが書いた研究書(1983年)は本当に完璧ですばらしかった。これ以上のものを映画でつくるのは、難しい。

そこで『楽しき思い出』を元にニューヨークの生活を中心にたどることを思いついた。
青春だ、命がけで海を渡った青春。
誰でもはじめて外国を訪れたら驚くだろう。感激することがあるだろう。そして、別れの感傷…、さよなら…もう二度と逢うことが出来ない建物、人々、時間。

幸いなことに新しい発見もあった。
パソコンのおかげだ。
本の中にホームステイ先としてNY州トロイのガーレー家とある。これをウエブサイトを辿って突き止めた。
アメリカには家系を辿るビジネスや家系マニアのサイトがあり、アメリカ中のガーレー家が出てきた。
その中から娘エディスという名前を見つけたのだ。
鶴子さんが1年間ともに暮らしたガーレー家の娘である。
娘の名前から父、母が特定できた。
この名前をもとにトロイ市役所、図書館、歴史協会に問い合わせて撮影に結びついた。

実際にトロイ市へ行って、本に書かれた家族関係や家の場所などの描写が正確なことがわかった。
カメラもテープレコーダーも普通に持ち歩くことができない時代に、きちんとした日本語で正確に描写しているが、どうやって記録したのか知りたい。
亡くなる前に、とにかく書き上げてくださったから、こうして100年後、鶴子さんの青春を私たちは知ることができた。最初に言葉ありき。言葉に感謝。

2008年08月02日

夏が来れば思い出す…

いましみじみとベトナムのコーヒーを飲んでいる。
2007年7月30日(ハワイ時間29日)ハワイのプライベートビーチで、不慮の海難事故にあい、あっけなく旅立たれた中島通子先生が大好きだったコーヒーである。
中島通子さんは、大きな会社の男女雇用均等法闘争から、たった一人の自衛隊イラク派兵反対の裁判、理不尽な離婚裁判まで女性のために全力で戦ってくださった弁護士である。

突然お母様を亡くし呆然とする息子さんに、毎年、花見の時期に先生のところに集まり、新宿御苑を散策し、夜は宴会をした思い出にと、その時の模様を撮影したビデオをDVDにしてお送りしたが、そのお礼として送られてきた品である。
なによりもお花が好きだった先生、満開の桜の下を仲間と楽しそうに散策されている美しいお顔…。2003年ごろ、ノンリニア編集機の練習として作成したものだ。

2006年、自主製作の初長編ドキュメンタリー「ニューヨークで暮らしています 彼女たちがここにいる理由」を完成させた時、先生もニューヨークにご長男が勉強されていた時期があり長期滞在したとのことで、ぜひ花見の会で上映しましょう!といってくださった。
上映のために、それまで事務所に置いてあった入力、出力もついてないテレビ(20年ほど前のものとおっしゃっていた)を捨てて最新のデジタルテレビをお買いになり、集まった皆さんの前で上映し、「悦子さんがんばったわね」と褒めて下さった。

この花見の会で隣り合わせになったのが原口鶴子さんのお孫さんである。
完成披露の日、先生は都合でいらっしゃれなかったのですが、いつか観る日を楽しみにしていたと、事務所の方がおっしゃっていました。

もういらっしゃらないなんて、本当に残念である。
私たち家族がいまここにいるのは本当に先生のおかげなのだ。
先生、安らかに…。