2017年03月31日
ラ・ラ・ランド観てきました♡

ウキウキした気持ちが
何日たっても消えない。
この映画へ行く途中のバスの中で、新しい仕事のオファをいただいた。
気持ちがぱーと明るくなった。そして、18:30からの回のチケットを買って入場
この映画、試写会で観た人たちから昔のミュージカルが好きな人にはぴったりと聞いていた。
昔の好きだけど、いま『雨に唄えば』とか『パリのアメリカ人』とか観てもリアルタイムで中学生のときにみた、『ウエスト・サイド物語』の興奮状態とは程遠い。
なので、もし昔風だけであったら、失敗だろうなあと思いつつ、始まるのを待った。
最初から現実の高速道路の渋滞、いらいら、照りつけるロスの太陽…車は動かない、運転していた一人が踊り出す、うんうん、たしかに『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でビョークが列車の上で歌うあれの高速道路版か…、みんな人生思うようにいかなくて、やけくそになってるな
やっと渋滞が動き出したとたんヒロインの運転する車の前に割り込んできた乱暴で、不親切な男。
「なんて嫌な奴!」 嫌な奴が恋人になるのは定番、オーソドックスな展開。
ふとあるジャズ喫茶の鬱積したピアノの調べにひかれヒロインは中に入る。何と演奏していたのはあの運転していたぶしつけな奴。偶然の再会も恋愛映画の定番。
それから再び別の場所で再開して話すようになり、意気投合。
男は売れないジャズピアノプレーヤー。頑固で人の言うことをきかないから家族すら変人扱い、仕事場のマネジャーからも自分勝手だとクビを言いわたされる。
女は映画撮影場のカフェで働きながらオーディションを受け続け落ち続ける売れない女優。
この二人が出会い、互いの才能を認め、愛し合い、励まし合い、それぞれの夢であった男はジャズクラブのオーナーに、女は女優になっていく話なんだけど…。
大学出の女は年齢も年齢だし、実家では戻ってこいといってるし、最後に勝負をかける。
もうテレビや映画のオーデションを受けるのをやめ、自分で戯曲を書いて一人芝居に挑戦、でも、客席は、数人の客しかいなかった。耳には「何あの大根女優」「へったくそね」「女優になるのは無理」と聞こえてくる。お先真っ暗。
男は店を持つためにジャズをすて流行りのグループにさそわれ、キーボード奏者として活躍。グループは次々ヒットをとばし、ツアーが忙しくなる。失意の女はロスを去り、実家に帰るが――大逆転がまっていた。同棲していたアパートの一室で、男が「こんな生活してていいのか」と考えているとき電話が。
女の一人芝居をみたというキャスティング事務所からオーディションの誘いであった。
男は、女の住所を知らない。でも話の中の図書館の前というのを思いだし、徹夜で車を飛ばし知らせにいくのだったーー。そして、女は受けたオーディションでヒロイン役をゲット、撮影でパリへ。男はどうしたか…。
6年後にすっ飛ぶ、そしてまた大逆転。
ラストは泣けましたね。
全部ネタばれしてもつまらないだろうから詳しく書かないが、この恋愛ミュージカル映画は、『シェルブールの雨傘』や古くは『草原の輝き』のオマージュっぽい。若いとき運命的な出会いをした男女が自分たちの未来に向かって、あるいは時代の翻弄されて助け合いながらいっとき一緒に生きた。そして分かれることになり、5年後に再会、バーバラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードの『追憶』もこのパータンだった。
これまでのパターンと違うのは、男女どちらかが、互いに幸せになった相手をみて、ぐっとこらえる悲哀、昔はもう戻らないのねパターンが多かったが、この映画は悲劇はないのだ。そりゃ偶然の再会に二人とも驚くが、別れていくときにじーと見詰め合って、どちらからともなく(すごくいい演出)納得の笑顔を浮かべるのだ。あたしたち、こうなって正解だったね。参ったなあ。大人の二人。
描かれてない5年間を想像する。彼女にチャンスが転がり込み、彼女が世に出て大きく羽ばたこうとしたとき、彼は彼女を解き放ったんだろうなあ。自分はロスから離れないで念願だったお店を開く、君はパリの撮影に旅立てって。彼女の成功を祈りつつ、自分も自分の夢を実現しようと頑張った。
だから、ラストがめめしくない。いい男だわ。付き合っている女が成功しだすと嫉妬していじわるする男が多いのに。
これでよかったんだ、お互いこの道を選んだのだ、という共感の笑顔、ラストはこれでなくては。
ダンスシーンは昔のミュージカルのオマージュをいろいろ取り入れているけど、カメラワークが決定的に違う。プールの中から周りで踊る人々を写したのには驚いた。ときどきカメラが水中に入ったりして。
スピルバーグの『ET』 みたいに月に向かって自転車ではなく、星空に踊りながら上っていくシーンは美しかったなあ。
ストーリーはオーソドックスでシンプル、踊りはオーソドックスだけど、カメラが動き回り新鮮な感動がわきあがる…、てな感じの映画でした。ごちそうさま。
2017年03月07日
マリウス
昨日、山田洋次演出、主演はタッキー&翼の今井翼の音楽劇『マリウス』を観劇。
初日、月曜の夜6時開演、月曜ですよ!なのに若い女性、中高年の男女…で満席
久しぶりの銀座、しかも日生劇場ーーあまりの帝国ホテル周辺の変わりようにびっくり。

パンフレット1500円

パンフレットより 松竹
『マリウス』はフランス、ル・アーブルの港を舞台にした、マルセル・パニョール作の有名な戯曲。
山田洋次監督はこの戯曲がとても気にいっているようで、1967年、この原作をもとに賠償千恵子主演『愛の賛歌』を作った。
舞台は瀬戸内海の日永島。
とてもいい映画で学生時代、これをリアルタイムでみて涙したり、笑ったり…。
ジョシュア・ローガンが監督し、主演レスリー・キャロン、ホルスト・ブッフホルツ(『荒野の7人』で生き残る若者)の映画『ファニー』も観たのを覚えている。この監督は1956年にブロードウェーでミュージカル化している。
『ファニー』とか『マリウス』などタイトルがさまざまだが、原作は『ファニー』『マリウス』『セザール』の3部作らしい。
だからそうなるのかな。
『愛の賛歌』を見た後『ファニー』をみたが、ラストが違っていたのでおやっと思った。
『愛の賛歌』は、竜太(マリウス)を泣く泣く航海へ送り出した春子(ファニー)は妊娠がわかり、診療所の伊作先生に相談、伊作が子どもの面倒をみると名乗りでた(原作では金持ちの人のいいジジイと仮面夫婦になる)。竜太を心配して酒びたりの父千造を心配しながら酒場を手伝い子どもを育てる春子。そこへ夢破れた竜太が戻ってくる。
怒った千造は子どもは渡さない、また出ていくならひとりで行けと喧嘩。竜太は1人大阪に旅立つ。
で、千造が亡くなったあと、伊作の応援を得て、春子は今度こそ子どもを連れて、彼のいる大阪に向けて島を出ようと決意。が、『ファニー』はマリウスだけ島を出てファニーは残った。
3部作を読んでないからわからないが、ファニーも夫が死んだら島をでるのかなーー。
自分的は『愛の賛歌』のラストがすごく気に入っていた。子どもをつれて、島をでようと決意したところ。
だから『ファニー』を見た時は、なーんだと思ったことを覚えている。
山田洋次の日常を描きながら、つねに古いものをすて新しい自分の人生に挑戦する人を応援する考え方が好きだった。これぞ、自分の生き方だと思っていたから(やはりこのころからそう思っていたのだ、今気が付いた)
前置きがいつも長くなってしまう
劇ですが、前半翼くんが沈みがちで暗い暗いマリウスだった。共演のファニー役の瀧本美織(NHK『べっぴんさん』の主演をした女優さんらしい)はとてもいい女優さんで、歌も抜群にうまかった。二人で感情が燃え上がった時に唄うが、女性パートのわりに翼くんの部分が少なく消化不良ぎみーーだが、後半はよかった、
翼くんがどんどん強い声で歌うようになり、マリウスが航海に出てファニーを思い、ファニーがマリウスを思いながら赤ん坊の世話をしつつデュエットするところは、思わず涙がでた。
酒場の常連の面々(マリウスの父で酒場オーナー柄本明、ファニーの仮面夫となる三平兄の正楽ほか)の落語みたいな会話は山田洋次のバカシリーズやと寅さん一家のようだ。
アンコールに答えて、翼くんがお得意のスパニッシュダンス(フラメンコ)を披露、会場のりのりで立ち上がって拍手。だけど、翼くんはジャニーズらしくないなあ、地味、雰囲気が優しすぎる、踊りがうますぎる

終了後、ロビーでファンに囲まれた山田洋次監督、無断でパチリ
スタンディングオベーションのとき、2,3席後ろが関係者席で山田洋次監督がいらした。
舞台でなく監督の方に向かって拍手したら、こちらに笑顔をむけてくださったのには感激
私でなくこの劇に招待してくださった女性のほうだったけど、とてもリラックスされたいい笑顔でした!
2017年03月05日
このブログシネじゃ日誌にリンクしてくれてたのね
ちょっとシネマジャーナルの日誌を開いたら、、なんと自分のしょうもない、ほとんど見る人もいないけど、自己満足ブログにリンクしていただいてました!ありがとうございまーす。”いいね”まで!
これから頑張って書いていこうと決心しました。気持ちだけは…
まず2015年2月のベルリン旅行の記事が中途半端で終わっているので続きを書かないと。
ドイツ抵抗運動博物館の写真をやまほど撮影しました。なぜって、ヒットラー暗殺を企て抵抗した中心人物、将校クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐が、すごーいハンサムで(不謹慎)だったから。

『ワルキューレ』より
この大佐を『ワルキューレ』というハリウッド映画でトムが演じていました。
この事件7月20日事件というらしいのですが、暗殺があと一歩で失敗、そのため大佐をはじめ、関係者は銃殺されたんですが、その処刑場だった中庭もそのまま保存してあって、ゆっくりみてきました(来館者は私1人だったのよ)
リンクしてくださった方ありがとうございます。