2012年10月

2012年10月20日

サヨナラ 東京国際女性映画祭

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東京国際女性映画祭は、25回目の今年で、幕を下すことになった。
今年の開催は明日21日の1日のみ、3本上映する。
1回目から、仲間と作っている映画誌「シネマジャーナル」で取材していた。
ヨーロッパやアジアから女性監督が来日して、刺激的な、女性でなくては作れない映画を上映。
はじめのころ、日本の女性監督は羽田澄子さんだけだったとのこと。
海外に比べ日本の女性監督の少なさは今も変わらないが、それでも増えたのは、地道に上映してくれるこのような映画祭があったことも大きな力になっていた。
私も監督として名前を出した作品を最初に上映してくれたのはこの映画祭だった。

今年でお終いはショックだ。いろいろ理由はあると思うが、やはり、文化芸術の予算の削減じゃないかな。
ここにかかるような映画はインデペンデンツが多いし、テレビ局がバックにいるのは珍しいくらいだから、映画祭自体の知名度や宣伝にご苦労されてたのだろう。

国の支援はあったのかな。
同じアジアでも、ソウル女性映画祭は国が全面的にバックアップする映画祭。参加した人の話しでは、規模も運営人数も資金も日本と比べられないほど豊かで勢いがあるとのこと。

私たち女性にも継続を後押しできなかった悔いがある。
若い人たちは特別に女性映画祭へのこだわりがないのかもしれない。
女性でなくては作れない映画など、なくなったのだろうか。

明日の夜は関係者が集まるとのこと。
私も参加させていただく。

2012年10月16日

猫たちと

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随分ブログを休んでいました。あれこれ日々の暮らしに追われてーー。

最近の日課といえば、4匹の我が家の猫の世話。孫がいないから、孫みたいなものかしら。
先日、植木と猫のエサやりがもと(?)で61歳の女性が86歳のおじいさんに日本刀で切り殺された。
なんか身の毛がよだつ事件だけど、人事に思えない事件だった。

我が家の4匹は元ノラ猫。庭に迷い込んできて、エサを待つ状態がつづいたので、ノラだと思い、つぎつぎ保護した。みな最初はフーフー怒っているが、ケージにいれて少しづつ慣らしていくうちに、みんな穏やかな顔つきになって、なれてくる。ただ狭い我が家は4匹が限界かもしれない。
でもまだ飼い主のいない猫がときどき現れるから悩む。
全世界のノラ猫を飼うことはできない!
悩んだ末、土曜日、区が主催する地域猫の説明会に行って来た。そこでわかったこと。

猫愛護と地域猫活動は別物。
家で飼ってる猫は飼い主が責任をもつ。
ところが、こっそり捨てられた猫たち、その猫から生まれた子猫たちはどうするか。
エサを求めてさ迷い歩く。野生でないから進んでハンティングする能力はない。エサをもとめて道路を行き来するうちに交通事故で死ぬか、餓死、伝染病であっけなく死ぬのもいるらしい。
ただ、猫の繁殖力は旺盛だから、不幸な子猫がドンドン生まれる。

そこで、地域猫活動がある。エサやり活動とは違う。エサの上げっぱなしは困るし、不衛生。
地域猫はまず保護し、獣医さんに連れて行き避妊または去勢手術をして元の場所に戻し、エサをやり、トイレ始末をきちんとして、エサやり現場を汚さないようにしてみんなで世話し、短い猫の一生をまっとうさせようという活動。
ここまですれば、無制限に猫は増えないし、少しづつ減っていく。猫好きも猫嫌いの人も仲良く暮らせるようになる。たしかに。

私はそれをごっちゃにしていて、全世界のノラ猫を救うなんてできないと絶望していた。

また猫の繁殖の歴史も教えてくれた。
第一次は明治時代。北里柴三郎がペストの流行を抑えるために、ペスト菌の運びやとなるネズミ駆除のため全家庭に猫を飼うように提唱した。

第二次は戦後、漫画サザエさんの世代。タマちゃんという猫が家と外を自由に行き来して飼われているが、どの家もそういう感じでゆるく猫を飼っていた。去勢や避妊はせず、どこかで交尾して妊娠した猫が自宅で子どもうんでーーという思い出が有る人は結構いると思うが、そういう時代。

そしていま。ネズミはどこかへ行き、空地は少なく、生ゴミは管理されている。こういうところに、家が狭いから、アパートだから、外で病気をもらってきたからと、猫を捨てていく人間が増え、それらがエサをやった、やらないともめる元となる猫になっていく。

時代がかわり猫の飼い方もかわってきたのに、行政も地域も住民もそれに追いついておらず皆が好き勝手にノラ猫をどうしよう、ノラ猫をなんとかしろ、とやってるから事件になるケースがでてくる。
こういう中で世田谷のあの事件が起こったと考えれば納得がいくのでないか。

では、どうすればいいのかな、また最初にもどるけど、それを考えながら、猫たちの寝顔をみている。