2010年03月

2010年03月10日

NYに住む方々のご感想

日本女子大学から「桜楓新報」が送られてきました。100年前、鶴子さん自身がニューヨークから何度も留学のエッセーを寄稿した新聞です。ここに、ニューヨークの上映会にご参加されたNY在住の卒業生の方々の感想が掲載されていました。抜粋をご紹介いたします。
  『心理学者原口鶴子の青春』を見て(80歳代)

「(略)泉悦子監督は鶴子の孫から贈られた「楽しき思い出」に感動し、これらを映像にしたらどうなるか…その気持ちを基に製作を開始した。留学時代の写真が一枚もないにもかかわらず、映像はあたかも現在の私たちに語りかけるような新鮮さを持つ。(略)鶴子の長女早百合さんは一歳半で母と死別したが、後に倉西正武氏(コロンビア大名誉教授)と結婚、40数年ニューヨークで暮らした。この映画を見て「初めて母に会いました」と言って永眠されたという。私も今から50年前(1962年)、敗戦の傷もようやく癒えてきた頃の留学生であるが、100年前のニューヨークを想起して真に考え深いものがある。彼女の留学は明治の意気溌剌とした社会情勢の中、類まれな才能を開花させた。そして改めて映像の威力を知った。」
  「なんというドラマティックな人生なのでしょうか(40歳代)
「100年前の日本において、怖気付くこともなく世界へその学問の場を広げ、瑞々しい感性で当時のアメリカを生きた鶴子さんに驚きそして感動いたしました。彼女の眼を通して見るアメリカ、ニューヨークは若く、美しく、エネルギッシュでありながら、ヨーロッパの古い伝統をしっかりと、残していました。100年後、そこに生活している私にはもう見ることが出来ないこの地のかつての情景や人々を彼女の眼を通して味わうことが出来たのは、本当に新鮮な経験でした。
 また、時代こそ違え、同じ女子大で学んだ人間でありながら、卒業当時、鶴子さんのような世界観はおろか、学問に対する情熱も、与えられた環境に値するだけのものも持ち合わせていなかった私が、奇しくも同じニューヨークで生活するようになり、私なりの活動を意識するようになっていることを思いながら見ておりました。そして映画の最後の部分で語られた彼女の残した言葉に衝撃を受けました。
「宇宙は無限であり、私達の個人も世界で成し遂げること(work)によって無限となることができる」
 その時、私は確かに自分の中に彼女の存在を受け取った思いがしました。心が奮えたのです。この心の奮えの伝播、これこそ無限である証だとかんじたのです。(略)」

   メールでいただいたご感想(20歳代)
また、会場に観にいらした若い男性からメールをいただきました。彼は日本で心理学を専攻し、ニューヨークには役者の勉強にきているとのこと。プライバシーに触れない部分で感想の一部を抜粋させていただきますね。↓
「(略)僕自身、男性という立場ですが、鶴子さんの行動には強い影響を受けました。というのも、やはり同じ異国の地に単身で来たものとして共感を得つつも、当時100年前の日本から、ましてや女性という社会的に弱い立場の身でありながら、海外留学という決断に至ったのは、今の現代を生きる僕たちには想像もつかないような異例のケースだったにちがいないなーと思いました。今だからこそ留学というものがすぐ実現する世の中ですが、逆にいえば、鶴子さんのような先駆者たちが土台を築いてくださったからこそ、簡単にできることのような気もしました。(もちろん留学業者も通さず、経済的援助もなく自分一人で全てやりくりした自分にとって、決して簡単なものではなかったのですがww)ここ数年、「生きる」ということについてすごく考えさせられています。たった一度、しかも80年前後しか生きないであろう人生にどのような意味があるのだろうか。自分のためだけに生きて、お金や家、車があり不自由なく過ごして終わるだけでいいのかなと。(略)考え抜いた結果、僕自身の答えは、人のために何かを残すことだという単純な回答に至ったのです。その媒介となるものはまだ決定していません。日本では音楽活動をしたり、ダンスを子どもに教える仕事についたり、小学校で子どもに勉強を教える機会をいただいたりしていました。教師になるための経験値稼ぎで来たNYでは、演劇に没頭してきたつもりが、今では生活の支えのために始めた料理に夢中になっています。何かを作り上げて、人に喜んでもらうことが好きという自分だからこそ、泉さんの作品には心を打たれました。短命ながらも、鶴子さんの生きる力に感動し、自分もこれからできることを常に試行錯誤していきたいと思いました。そう思わせてくれた監督にお礼の意味をこめて、長々と文章を綴ってしまいました。来年からは世界一周の一人旅に出るつもりですが、どこかの国で、日本人役者が必要なときは、おっしゃってくださいw」

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はい、英語が出来る青年を必要なときはメールいたしますね。でも本当に年齢、男女に関係なく多くのニューヨーカーの皆様に見ていただき、嬉しい気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。 


2010年03月02日

DVD完成と読書

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2月16日、念願のDVDができました。
昨年10月ごろから準備をはじめ、リーフレットの編集、ジャケットカバー、レーベルのデザイン、どこにプレスを頼もうかなど…。映画祭のために自分で貼り付けた英語字幕は、字体が細く、二段にしたときの区切りも中途半端な場所があり全面的に専門の人に貼りかえていただいた。
ニューヨーク上映はそれでやって、好評だったのでほっとした。
長さも編集しなおし、8分ほど短くし、英字幕2009年リニューアル版となった。
これをDVDプレスのためにノンリニア編集機からDVCAMに書き出すのがなかなかうまくいかず、結局、編集スタジオのお世話になったり…。たくさんの皆様が買ってくださるといいのだけれど。
Cinemaonlineというサイトがニューリリースをのせてくださった。それだけなので、どこまで知っていただけるか。新聞やラジオに出たとき、多くのリスナーの方から映画館が近くにないのでDVDを注文したい、と連絡いただいたのですが、まだDVDを作る予定がなかったので、その旨を伝えただけ。お名前を控えておけばよかった。事務能力があまりないので、残念だ。

DVDが出来上がり、次の予定もないので、久しぶりに図書館へ。20冊ぐらい読んだが『静かなアリス』(リサ・ジェノヴァ)、『毛沢東のバレエダンサー』(リー・ツンシン)、『癌と私の共同生活』(俵萌子)、『ミツコと七人の子供たち』(シュミット村木眞寿美)、『天皇家の執事 侍従長の十年半』(渡辺允)『プラトニックセックス』(飯島愛)、『絶筆』(久和ひとみ)、9.11で倒壊ビルの中にいて助かった方々のインタビュー集など。やはりノンフィクションは面白い。

中でも最初に書いた3冊は心を動かされた。『静かなアリス』は、50歳で若年性アルツハイマーになったハーバート大学認知心理学の教授の記録。若年性アルツハイマー(平均発症年は52歳)は親がなると、その子供に50パーセントの確実で遺伝子が受け継がれるらしい。特に最初の子供が女の子だと確率が高いとのこと。アメリカで、遺伝子をもった女性が妊娠した場合、その胎児に遺伝子検査をする場合もあるそうだ。
アリスにも成人になった子供が3人いる。どう切り出していいかわからないまま、自分の病気を告白して長女、長男、次女に検査を受けさせる。その結果、結婚している長女が遺伝子を持っていることがわかった。アリスは自分が妊娠したとき、検査していれば、長女のこれからの苦難を予見できたのに…と学者として自分を責める。その時はまだ科学的に解明されていなかったので仕方なかったのに、学者として苦しむ姿が悲しい。長女は妊娠し、勇敢にも胎児の検査を実行するが遺伝子が受け継いでいないことがわかる。そして、元気な赤ちゃん(アリスにとっては孫)が生まれる。長女は「たとえ、子供が遺伝していても、私は産むつもりだった。この子が50歳になったときには医学は進歩してるから」と。

『毛沢東のバレエダンサー』は貧農の、二重まぶたで運動神経抜群のいたずらっ子が、毛沢東の奥さんの文化政策でバレエ学校の生徒に選ばれ、家族と別れ北京のバレエ学校に寄宿し7年間修行。苦しい練習をへてやがてヒューストンのバレエ学校の研修生に選ばれるまでに。そこで知った新しい世界、中国で教えられていたこととの違いに驚き、共感しアメリカへ亡命。世界的なダンサーとなっていく自伝。紅衛兵時代の中国の農村の様子がよくわかる。また国を捨てても、祖国や家族への熱い思い。命をかけて何かをしようとするときの、勇気、決断、犠牲…中国人の努力や情熱、心の広さと、頑なな人を縛る規則など、いい面、悪い面が描かれている。

『癌と私の共同生活』は1996年の本。俵萌子さんの作品は前に読んだことがあったが、年代が離れているせいか、特別興味を持つこともなかった。今回、これを読んで、彼女が離婚して、マスコミ露出を控え、群馬県赤城山に移って陶器工房を作り、地域の人々と活動していたことを知った。ぐっと身近に感じられた。そこへ乳がんが見つかり、活動しながら手術を乗り越え、癌と共存していくまでの心の葛藤が描いたのがこの本。感動したのは彼女の癌との取り組み方。これまでニューヨークの興味から、ニューヨークで乳がんと戦い抜いた千葉敦子さんの本を何度も読み返し、すごい!と思っていた。萌子さんの場合は「戦う」というよりタイトルどおり共同生活だ。千葉さんの発症が40歳、俵さんは表の活動に区切りをつけ、離婚を節目に自分の生活をリセットしたあとの65歳ということもあるのだろうか。倒木が朽ちて、土にもどっていく……のが死ではないかと描写するところがあり、ドキリとし、同時に目が開かれた思い。仏教の考え方らしい。その筆力の強さ、奥に秘めた生への執念、ユーモア。残念なことに、彼女は2007年にお亡くなりになってしまった。その様子はわからないが、きっと、文章の通り、安らかに自然へ戻っていかれたのだと思う。77歳。